流行歌もクラシックも「炎上」のネタに
「投書階級」が問題視したのは、出征兵士を送る宴で、軍歌の合唱がいつの間にか「忘れちゃいやヨ」などの流行歌の合唱になってしまうことや、軍歌が花柳街で大声放歌されていることだった。「あゝそれなのに」が「投書階級」の逆鱗に触れたのは、美ち奴の歌い方がなやましく、「エロ」を発散するセクシャルな歌だったからである。
「投書階級」の非難の矛先は、流行歌に止まらず、西洋クラシック音楽に及ぶ。一九三七年の「草深き山村の百姓」からの日本放送協会への投書は、西洋クラシック音楽に対して「不愉快と嫌味とそして一種云うべからざる反感が心の底から湧き上って来る」と嫌悪感を露にする。別の投書は、ヨハン・シュトラウス二世の歌劇「蝙蝠」(こうもり)序曲に対して、「只ガヤガヤ騒々しくて全く聴いていて閉口致しました」と苦情を述べる。これらの投書に共通するのは、西洋クラシック音楽に対する「生理的な違和感ないしは嫌悪感」であり、「都市エリート文化一般の押しつけに対する反感」だった(金子龍司「日中戦争期の『洋楽排撃論』に対する日本放送協会・内務省の動向」『日本史研究』628号、2014年)。
娯楽統制をリードしたのは「民意」だった
「投書階級」の西洋クラシック音楽の放送回数削減要求は、「日本的なもの」のイデオロギーで飾られていた。西洋クラシック音楽の放送は「ガンガンキーキーやかましいばかりで日本精神に反する」。そう非難する「投書階級」は、他方で軍歌ならば同じ西洋楽器を用いた演奏でも、つべこべ言わなかった(金子、同上)。戦時下に「日本精神」を掲げて非難する相手には、どうしようもなかった。
以上要するに、娯楽統制の主体は検閲当局というよりも、民意(「投書階級」)だったことになる。
権力と民意の逆転は日中戦争の長期化に拍車をかける。新聞やラジオの報道によって戦勝気分が高まった民意は、無賠償・非併合による戦争の終結をめざす近衛の和平工作の妨げとなったからである。メディアの持つ双方向性は、権力による被害者でもなく、権力に追従する加害者でもないメディアの実像を明らかにしている。