人生のモットーとなった、父の言葉

【三宅】名門パブリックスクールを出たからといって、名門大学に入れるわけではないと。

【ハリー】そうです。当時はブレア首相の時代で、オックスフォードとケンブリッジについては私立出身者と公立出身者の割合が半々になるように調整されていました。その結果、私立出身で調子に乗っていた僕は落とされてしまった。それを僕は人生の汚点だとずっと思っていたんです。

【三宅】汚点ではないと思いますが……その挫折はどうやって乗り越えたんですか?

【ハリー】2012年にNHKの番組で父と話す機会があって、思い切って聞いてみたんです。「あのとき、お父さんは正直どう思ったのか」と。逆に言うと、それまで怖くて聞けなかったのです。

そのとき父が投げかけてくれた言葉はいま、僕の人生のモットーになっています。それは「Don’t worry. You failed upwards.」。「君は上に向かって失敗したんだから心配しないでいいよ」という意味です。この言葉は僕の胸に刺青のように刻まれていて、それ以来、よりアグレッシブに生きられるようになりました。

【三宅】素晴らしい言葉ですね。英語にしても、失敗が怖くて英語を使うことをためらう人がたくさんいます。

【ハリー】本当にそう思います。日本の教育も失敗がもっと許されるものになってほしいです。語学だけではなく、スポーツでも科学でもビジネスでも何でもそうだと思うんですけれど、失敗しないと進歩は見えてきません。すべてトライ・アンド・エラー。老若男女関係なく、何かにチャレンジして失敗した人たち全員に投げかけたい言葉です。むしろ失敗してよかったねと。

【三宅】お父様の言葉で気持ちを整理できたわけですね。

【ハリー】いまとなったら落とされて良かったと思います。受かっていたらおそらく芸能界にも入っていなかったと思いますし、このインタビューを受けることもなかったでしょう。

日本の投資銀行で働きながら副業でモデル活動

【三宅】大学はロンドン大学に進まれて中国語を専攻され、北京師範大学に1年留学されています。

【ハリー】ロンドン大学に東洋アフリカ研究学院という外交関係に強いカレッジがあります。1年目はロンドンで中国語を学び、2年目は北京師範大学に1年留学しました。留学が終わって中国語の日常会話が話せるようになったところで大学を中退して、日本に帰国することにしました。父と祖母の老いを感じていたので早く家族に貢献したいという思いが強かったことと、ロンドンという楽しみに溢れた町に帰ると時間やお金の無駄になりそうな気がしたことが大きな理由ですね。

【三宅】そして日本に戻って来られて、投資銀行で働きながら副業でモデルをされる。最近の日本では副業解禁の流れが加速していますが、ユニークな経歴ですね。

【ハリー】そうですね。僕の場合、入社の段階でモデルの仕事は社長から直々にOKをもらっていました。平日は投資銀行でM&Aコンサルタントとして有価証券報告書やブルームバーグの分析をする仕事をこなし、週末は「DIESELディーゼル」というブランドでモデルのアルバイトをする日々を過ごしました。非常に忙しい毎日でしたけど、楽しかったですよ。

(構成=郷 和貴)
【関連記事】
新興国の子を見て分かった、日本人の子がいつまでも英語を話せない理由
日本初のロシア人弁護士「バイト4つかけもちでも一発合格」の勉強法
最新アンケート「この学歴で結婚なら一生独身のほうがマシ」
「SSK」「愛愛名中」…なぜ愛知は地元大学への進学率が高いのか
なぜ、マックの高卒バイトがマイクロソフト本社にヘッドハンティングされたか