人生の挫折を乗り越えるにはどうすればいいか。英国の名門パブリックスクール出身のタレント・ハリー杉山さんは「オックスフォード大学の受験に失敗したことが、20代後半まで人生の汚点だと思っていた。そこから前向きになれたのは、父が僕に投げかけてくれた言葉のおかげだ」という。イーオンの三宅義和社長が、ハリーさんの半生を聞いた――。(第1回/全3回)
タレントのハリー杉山氏
撮影=原貴彦
タレントのハリー杉山氏

11歳で渡英「普通こそすべてだと思っていた」

【三宅義和(イーオン社長)】ハリーさんは、イギリス人のお父様と日本人のお母様をお持ちで、東京のインターナショナルスクールに通われた後、11歳のときにイギリスに移られました。移住当時の心境はどのようなものでしたか?

【ハリー杉山(タレント)】変な言い方かもしれませんが、当時はとにかく「普通こそすべてだ」と思っていましたね。いまの時代だと「個性」イコール「面白い」「恵まれている」「かっこいい」といったポジティブなリアクションがありますが、当時は逆に普通でいたかった。

【三宅】それは……日本だと意図せずに目立ってしまう経験があったからですか?

【ハリー】いや、もっと単純な理由で、周りの同級生たちの会話についていけなかったからです。英語は問題なく話すことはできました。しかし、現地で育った同い年のクラスメートと比べると圧倒的に語彙力が足りません。彼らのジョークや『モンティ・パイソン』みたいなコメディを見ても何を言っているのかわからない。

【三宅】英語ができることと現地の人の話題についていけることは別ですからね。

【ハリー】まったく別です。それに現地の子たちはすでにラテン語やフランス語を5年くらい習っているのに、僕は東京で習っていなかったので根本的にビハインドだったのです。クラスのテンポについていけず、次第に「あいつに聞いてもどうせ何も答えられないよ」みたいな扱いになって……。

【三宅】それは大変ですね。

【ハリー】いついじめられてもおかしくない状況でした。そこで母親にお願いしてラテン語とフランス語の家庭教師をつけてもらい、1年半ぐらいで追いついて、やっとクラスのみんなと同じように授業を楽しめるようになりました。

【三宅】相当努力されたのでしょうか。

【ハリー】語学の学習は、少なくとも初歩的な段階では、とにかく膨大な表現のパターンを暗記すれば何とかなります。ですから、その時間をどれだけ割けるかが勝負だと思って、最初の1年間は学校にいる時間とサッカーをしている時間以外は、ひたすら勉強をしていました。