日米双方の教育を受けて育った国際ジャーナリストのモーリー・ロバートソン氏は、不良学生だった高校生活を経て、東京大学とハーバード大学の両方に現役合格している。教育システムがまったく異なる日米のトップ大学にどうやって合格したのか。イーオンの三宅義和社長がそのわけを聞いた――。(第2回/全3回)。

インターナショナルスクールで突如、日本語禁止に

イーオン社長の三宅義和氏(左)と国際ジャーナリストでミュージシャンのモーリー・ロバートソン氏
撮影=原 貴彦
イーオン社長の三宅義和氏(左)と国際ジャーナリストでミュージシャンのモーリー・ロバートソン氏

【三宅義和(イーオン社長)】モーリーさんは広島のインターナショナルスクールに通われていました。しかし、小学校5年生のときにご自身の意志で日本の公立学校に転入されます。これはなぜですか?

【モーリー・ロバートソン(国際ジャーナリスト、ミュージシャン)】当初通っていたインターナショナルスクールでルール変更があり、校内が日本語禁止になってしまったのです。

背景を言いますと、時代は1970年代前半。日本のテレビ番組が面白くなった時期です。その頃に放送されていた『ウルトラマン』や『仮面ライダー』などの特撮番組やアニメ、それにザ・ドリフターズのお笑い番組などに夢中になりました。

インターナショナルスクールに通う外国人の子供のほとんどは漢字を読めませんが、子供向け番組の簡単な会話なら内容がわかります。すると当然、学校ではアニメの主題歌を歌ったり、仮面ライダーごっこをしたり、いかりや長介の真似をしますよね(笑)。ひと学年に4、5人しかいない小さなコミュニティですから、みんなでやる。

【三宅】そのことに学校側が危機感を覚えたわけですね。

【ロバートソン】はい。インターナショナルスクール側の目的は「英語を正しく学ばせること」ですから。でも、ルールが変わった結果、校庭代わりに使っていた公園にいるとき以外は日本語を使うことが禁止になってしまいました。いきなり学校の中に国境ができた感覚です。

とくに私は特撮やアニメをはじめとする日本のテレビ番組に対する愛着が人一倍強かったので、「これを観るな」と言われているような気持ちになったことを覚えています。あと、私は日本の漫画も大好きでかんたんな漢字であれば読むことができました。

「せっかく覚えた漢字を捨てたくない」という気持ちもありましたね。逆に言えば、あそこまで自分をかき立てた日本の漫画やテレビ番組がなければ、転校しなかったかもしれません。