帰国後に入った日本の高校で、不良として青春を謳歌

イーオン社長の三宅義和氏
撮影=原 貴彦
イーオン社長の三宅義和氏

【三宅】アメリカに2年行かれた後、高2のときに広島の母校に留学生という形で戻られています。これもご自分の意志で?

【ロバートソン】そうですね。アメリカでの生活にもいつかは慣れるだろうと思いながらみんなと同じように振る舞う努力をしたものの、少し無理がありました。

【三宅】では日本ではまたストイックな生活に?

【ロバートソン】実は青春を謳歌しすぎてしまいまして(笑)。放課後にゲームセンターで遊び、繁華街で女性に声をかけ、ディスコで踊るとか……。それまで学校ではグレーゾーン扱いの行為だったのですが、派手にやりすぎたせいで校則に「禁止」と明記されてしまったのです。後輩のみなさん、ごめんなさい(笑)。

【三宅】最終的には退学をされる。

【ロバートソン】「校則を守れ!」「イヤだ!」の応酬になって学校を追い出され、母親の実家がある富山県高岡市の高校に編入することになりました。

誰もが苦手な古文を猛勉強して成績優秀者に

【三宅】富山ではどのように過ごされましたか?

【ロバートソン】当時はパンクミュージックにはまっていて、バンドをやりたかったのです。しかし、編入先の高校に前の学校から「この子は影響力があるから気をつけてください」と伝達があり、私だけ特例で「軽音楽部に入ってはダメ」「学区内でのバンド活動もダメ」と言われたのです。「なら、市外であれば大丈夫だろう」と勝手に解釈して、離れた富山市でバンドを結成したんですけどね(笑)。

【三宅】網の目をかいくぐったわけですね。

【ロバートソン】今思えば笑い話ではあるものの、私の生き様に通ずる話でもあります。格好よく言うなら、「今いる場所で自分を見失いそうになったらボーダーを跨げ」。そうやって自分を取り戻してきました。

【三宅】これは名言!

【ロバートソン】とはいえ、いつかそれすら阻害されてしまうかもしれないと思って、心機一転、成績を上げようと思ったのです。成績優秀者の仲間入りをすれば先生の監視レーダーから消えることができますから。どうやったら効率よく成績をあげられるかと思って選んだのが「古文」。

【三宅】これはまた難しい科目を。

【ロバートソン】逆にみんなが苦手だったから選んだのです。みんなが英単語を覚えるときに使う短冊を古文用に改造したり、友達が英語の文章をブツブツと言っている横で、「春はあけぼの ようよう白くなりゆく」と口に出して読んでいました。

【三宅】よく考えると古文も英語も言語習得という意味では同じですからね。

【ロバートソン】そうです。何度も音読すると反復の力で意味がわかるようになって、総合の偏差値がグングン上がり、結果的に先生の監視も緩くなっていきました。