ハンコを押すだけの管理職には合理性があった
【木村】そもそもなぜハンコを押すだけの「昭和的な管理職」が出来上がってしまったのか。柳川先生はどうお考えですか。
【柳川】今までの話も踏まえて、3つの軸に整理できます。
1つ目は、木村さんがおっしゃったように、日本企業がボトムアップ型の組織であること。だから下が良しとしていることをあからさまに上が否定したりはしないし、ましてや組織の真ん中にいる部長や課長が大きな方向性を指示することはないという構造があります。つまり日本企業はヒエラルキー組織になっていない。トップダウンで上が決めるのではなく、現場が中心となってある種のチームプレーで意思決定してきたんじゃないでしょうか。
多くの日本の会社は、最初は小さな町工場でした。働く人たちも少人数なので、オペレーショナルなテーマは何でも全員で話し合って意思決定する。代表者はもちろん工場長(兼社長)ですが、実質的にはやることはみんなで決めたことにハンコを押すだけ、となるわけです。問題は、組織が大きくなってもこの構造が変わらなかったことです。会社が大きくなれば、経営者だけでなく管理職も含めて偉そうな肩書きがつく人は増えるのに、やはり上が決めることはほとんどないままここまで来てしまいました。
2つめは、管理職に与えられてきたのが塗り絵を塗るという極めてルーティンな仕事で、自主的な意思決定をそれほど必要とされなかったことです。
肩書きは「長年働いてきたことに対する勲章」
【木村】業務上の意思決定どころか、飲み会の挨拶で何を話すかさえ任せる人もいましたからね。部下がト書きを用意して、部長はそれを読み上げるだけ。すべての段取りは下がやってくれるので、上司は何もしなくていい。私は昭和の終わり頃に大企業と仕事をする機会が多かったのですが、当時の管理職はそんなイメージでした。
【柳川】さらに3つ目として挙げたいのが、日本の会社ならではの年功序列です。この3点がセットになると、「実は何も決めていない管理職」が出来上がる。
【木村】昭和の時代は「部下なし管理職」がたくさんいました。年功序列だから、勤続年数とともにポジションは上がっていく。そうは言っても優秀な人とそうでない人は線引きされるので、優秀な人は部下が何十人もいる営業一部の部長で、そうでない人は実質的に自分しかいない営業二部の部長になる、といったケースは大企業でよくありました。
【柳川】与えられるのは形式的な肩書きだけで、部長と言っても仕事や業務とひもづいているわけではない。長年働いてきたことに対する勲章みたいなものでしょうか。
【木村】そうです。「あいつももう50歳を過ぎたし、そろそろ部長にしてやらないと可哀想だろう」と。当時は大企業の場合、部長になるのが40代後半から50代前半くらいが一般的でしたから。それでも日本が成長モードで企業経営も安定していた頃は、肩書きだけの管理職が社内にいても、別に会社は潰れなかったわけです。