「必要な材料が揃ったので、あとは料理するだけの状態にあります。4次規制に対してはあくまで自前の技術で勝負する方針で、着々と内製化への道を歩んでいくつもりです。恐らく現時点で、同業他社に比べて1年から1年半は先行しているのではないかと自負しています」

09年3月期も増収増益の決算見通しを発表して順風満帆に見えるコマツだが、円高や資源高の逆風の中で本当に死角はないのか。01年度決算で赤字に転落し、希望退職者の募集など大リストラを断行してからわずか5、6年で復活を果たしたが、それは本物なのか――誰しもが抱くであろう疑問を解消するため、今日のグローバル生産体制構築を先導してきた野路國夫社長にその核心部分を質した。

ディーゼルエンジンを製造するコマツ小山工場のラインでは、作業初心者にもわかるように作業手順を確認するための液晶モニターが至る所にある。

ディーゼルエンジンを製造するコマツ小山工場のラインでは、作業初心者にもわかるように作業手順を確認するための液晶モニターが至る所にある。

まず、野路が情報システム本部長時代に原型をつくり上げた「グローバル部品表」だが、そのきっかけは、統合業務パッケージソフト(ERP)の「Baan(バーン)」を導入したことに始まる。この開発の陣頭指揮を任されたのが野路で、生産から調達、組み立て完了までの基幹部分を担う情報系の構造改革に腐心した頃をこう回想する。

「当時の安崎(暁)社長からバーンを入れろと言われて、せっかく入れるならどんな改革ができるのか、スタッフ全員を集めて検討しました。あの頃、日米同時に生産ラインを立ち上げようとしても、必ず何千枚という設計変更が出て、とても対応できなかった。では、どう解決したらいいかと開発と生産部門のスタッフがプロジェクトを組んで練り上げていくんですが、要するに常に全世界のことを考えてつくらないといけない。そのためには物凄いノウハウが必要で、コマツのDNAというか、うちのスタッフにそれがあったからできたんです」