カルテの内容さえ分からないままにスタート
2014年12月から、とりだい病院で働き始めている。最初は戸惑うことばかりだったという。
「今まで(医師の)先生と話をする機会がありませんでした。そして医療の知識もない。先生とのコミュニケーションが大変でした」
医師は、大学生時代から医療という専門分野に没入して生きてきた人間たちである。医療に限らず、専門性が高い分野では内部での意思疎通に使用される共通言語が存在する。そして長期間、その中で生活していると、それらが外部に理解されにくいことを忘れがちである。
「カルテなどに検査の指示が略語で書かれているんです。簡単なところならば、レントゲンは“XP”。心電図ならば“ECG”。病名も横文字で書かれているんです。受付業務自体のマニュアルはあるんです。でも、(医療に関わる)略語などの説明はないです。職業訓練校でも学ばなかった。全く指示も病名も分からなかったんです」
先生、これは何ですか、と聞いてみると、そんなことも分からないのかと返されたり、明らかに不機嫌な顔をされることもあった。不思議だったのは、控えめだと思っていた自分が、そのとき怯まなかったことだ。
「先生からしてみれば、忙しいのに何を基本的なことを聞くんだって感じだったんでしょう。でもめげずに聞きましたね。そのほか、看護師さんに聞いたり、家に帰ってインターネットで調べたり。最初は本当に大変でした」
患者さんから声を掛けられず、多くの資格を取得
とりだい病院の外来クラークは、担当する各診療科が日によって変わる。脳外科、麻酔科、内科、外科など、当然のことだが病名、処置は全く違う。
「初診の患者さんだとどの科でも紹介状をお持ちです。看護師さんにそのままお任せすればいいんです。再診の場合、こちらで理解しなければならないことがあります。今でもぱっと見て分からない病名はたくさんあります」
外来クラークは、病院の玄関口である。ほとんどの場合、患者が最初に顔を合わせるのは受付にいる外来クラークだ。長く通院している患者は、まず顔見知りの外来クラーク、あるいは看護婦を探す。働きはじめたばかりの頃を鷲見はこう振り返る。
「私には全然、声を掛けられなかった」
患者から頼られるようになりたいと思った鷲見は、多くの資格を取得した。メディカルクラーク、メンタルケアカウンセラー、ホームヘルパー2級、調剤報酬請求事務技能検定2級、ピンクリボンアドバイザー――など、である。
やがて、患者たちは鷲見の顔を見つけると表情が緩むようになった。医師や看護師たちから「(仕事が)分かってきたね」と言われたことも嬉しかった。ようやく自分の存在価値を認められ、居場所ができたような気がした。
同時に漠然とではあるが、未来に対する不安も頭をもたげていた。外来クラークの契約期間は5年間。延長するには半年間を空けて、再度、採用試験を受ける必要があった。同僚たちと、将来の話になることもあった。期限のない他の病院に転職した人間も少なくないと教えられた。自分もやがてここから離れるのかと寂しく思った。