何もできない日々で気づいた「野球ができる」喜び

“高校野球の当たり前”が世間では通用しない。当然のことに気づき、小さなことからかみ砕いて選手に説明するようになった。

「社会で通用する人間になってほしいという思いが根底にあります。高校生は未熟なので、そういったところを踏まえて指導しなければと、私も謹慎期間に考えました」

不祥事が発覚して、チームは活動停止。強豪野球部の評判は地に落ちた。もちろん、翌春のセンバツ出場がかかる秋季大会に出られなかった選手たちの落胆は大きかった。

「活動を自粛することになり、練習もできませんでした。私も謹慎処分を受けたので、選手の指導から離れ……学校の施設は使えないから、選手たちは公園でキャッチボールをしたり、寮の前で素振りをしたり、できるのは個人練習だけ。でも、そのことで『野球ができるのは当たり前のことじゃない』と気づいてくれたのかもしれません」

やらされる練習から、選手が自主的に取り組むスタイルに変わっていった。いや、変わらざるをえなかった。

「振り返ると、あのころが転換期だったように思います。崩れていたものを少しずつ直していきました」

「道具の準備は1年の仕事じゃないんですか?」

なるべくみんな平等に、当たり前のことを当たり前に勝利を目指すチームのなかでは、どうしても格差が生まれる。主力選手と控えのメンバー、ベンチ入りできない補欠。上級生と下級生の壁。だが、試合がなければ、全員が同じ地平に立つことができる。

「私自身、『甲子園、甲子園!』と言いながら、それでいいのかと思うことがありました。『野球がうまいからえらいのか』『甲子園に出た選手がすごい人なのか』と。野球がヘタでもすごい子はいるし、甲子園に出てダメになるやつもいる。長い人生で考えれば、甲子園だけがすべてではない。

私も、生徒たちも完全リセット、ゼロからのスタートでした。2年生は環境が変わったことに対する戸惑いはあったでしょう。不満もあったはずですが、そういう意味では、あのときの2年生がよく頑張ってくれました」

チームで揃って食事をし、みんなで練習する。グラウンドの整備も、部室の掃除も、全員でやるようになった。それまで野球にかけていた時間を、自分たちを見直すことに費やした。

「グラウンド整備にしても、『なんで僕たちが? 道具の準備は1年の仕事じゃないんですか?』という声が2年生から上がりました。私は、『それは誰が決めたの? 一番使うのは試合に出ている選手じゃないか。自分のために道具を手配するのは当たり前でしょう』と諭しました。上級生の姿を見て、下級生が学ぶようになりましたが、初めはいろいろと不平・不満もありました」