最初のころは呼び込みに一生懸命になり、遅延していた電車の運行状況を知らせる構内アナウンスと声がかぶさって乗客から苦情を受けた。小南はそこで、単なる売店と立ち売りの違いを知ることになる。電話をしている人が近くを通れば声を落とし、観光客の道案内も引き受ける。一度、子どもがホームに転落したのを見たときは階下にいる駅員に知らせた。「商品管理は当然ですが、最も大事なのはお客様の安全です」と話す様子はまるでJR九州の一員のようだ。

立ち売りの復活は、東筑軒に新たな常連客ももたらした。月1回の通院で折尾駅を利用するたびに買ってくれる人や、小南の姿を間近で見てきた高校生が卒業報告をしてくれたこともあった。中でも、目の不自由な人を接客したときのことは鮮明に覚えている。

駅弁当を立ち売りする男性と客
撮影=鍋田広一

「『元気な声を聞きに来たんだ』と私に言ってくれました。その方の最寄り駅にもうちの売店はあるのに、わざわざ2つ離れた折尾駅まで買いに来てくれたんです。そのときは、立ち売りをやってよかったと心から思えました」

便利な売店があるのに、立ち売りはなぜ消えないか

駅弁の立ち売りは、全国でもほとんどその姿をみかけない。多くはコンコースの土産屋や売店に置かれているから、改札をくぐる前に買っていく人も多いだろう。それでもなぜ、東筑軒はホームでの立ち売りにこだわり続けるのか。小南は「立ち売りの売り上げは二の次なんです」と言い切る。

「最初は少しでも売りたいと思っていました。改修前の折尾駅はホームの下にすぐ売店があって、競合していたんです。そのころは1日30個以上を売っていましたね」

その後、駅舎の改修工事をきっかけに売店は遠くに移動した。数を競う必要がなくなってからは、立ち売りの在り方をこれまで以上に考えるようになったという。

「これからはキャッシュレス(決済)の時代なのに、立ち売りは現金のみの取り扱いです。売り上げのメインはやっぱり便利のいい売店ですよ。呼び込みの歌に“応援歌”と名付けたように、弁当を売ることよりもお客さんを応援するのが自分の仕事。日本の立ち売り文化を守っていきたい、かしわめしで北九州全体をアピールしたいと思うようになりました」

目を輝かせ、いきいきと話す様子からは、頭を下げて回ったサラリーマン時代とはまるっきり変わったであろう自信と誇りが感じられる。しかし、立ち売りを始めたことは当初、家族にすら話していなかった。最高齢の新人という肩書に加え、給料は病院勤務時代の半分程度まで下がっている。「いやあ、なんか恥ずかしくてね……」。しかしあるとき、地元のテレビ番組に取り上げられたことで家族どころか、県内に広く知られてしまった。今では全国区の番組からも出演依頼が舞い込む人気ぶりである。