実家の近くに本社を置く「東筑軒」に入ることになったのは2011年。51歳でハローワークを訪ねたときだった。

「立ち売りなんてしたくない」と思っていたが……

「実は、営業職では一度面接に落ちているんです。その後、前のような病院勤務の求人がないかハローワークに行ったら、たまたま東筑軒の総務部長がいました。営業で落ちたことを伝えたら『まだ求人はあるよ』と言い出して。結局、配送業務として採用してもらえました」

折尾駅の立ち売りは1921年に始まった。だが、小南が入社した当時は、前任者の退職をきっかけに2年半の間休止していた。高校時代の電車通学で売り子を見ていた小南は、10代の自分なら「立ち売りなんてしたくないと思っていた」。だが40年近くがたつと、事業所にぽつんと置かれた空っぽの木箱と帽子を見るたびに「やらないなんてもったいないな」と気にかけるようになっていた。

話す男性
撮影=鍋田広一

そのうち、福岡ドーム(現在のPayPay(ペイペイ)ドーム)や会議場などに弁当を配送していたときに配送業務の主任から「立ち売りの方が向いているんじゃないか?」と提案を受けた。もともと営業志望だったので接客はうれしかったが、同時に「自分に務まるだろうか」と不安もよぎった。前任者はすでに退社しており、引き継ぎもなければ何のノウハウも持っていない。

引き受ける以上は長くやりたい。しかし、本当に自分に向いているのだろうか。慎重な性分ゆえにずいぶんと考えて、ようやく引き受けた。主任に話を持ち掛けられてから1カ月が過ぎていた。

スマホを見ていた高校生が思わず振り向いた

折尾駅看板
撮影=鍋田広一

2013年2月。寒空の下、慣れない重さの木箱を抱えてホームに立ったときのことを小南はよく覚えている。

「高校生たちはみんなスマホを触りながら歩きよってね。それを突然『お~りお~』と歌ったもんだから、『なんや!?』ってみんなが一斉に振り向いたんですよ」

呼び込みで歌う「かしわめし応援歌」と振り付けは自分で考えた。ちなみに、手を羽のようにひらひらとさせる舞いは“ようこそ折尾へ”という歓迎と“食べてくれていつもありがとう”という感謝の気持ちを表しているのだそうだ。「人と群れるよりも自分の個性を大事にしたい」という小南の信条がうかがえる。