「最初と最後」の瞬間に集まりたがるファンたち
戦時中でさえも憲兵の目を潜り抜けて鉄道車両を記録、撮影する鉄道愛好家もいたというし、鉄道紀行作家の故・宮脇俊三氏は1942年に開通した関門鉄道トンネルを一目見たいと、戦況が厳しさを増し始めた1944年3月に現地を訪れている。いわば戦時下の乗り鉄である。
だとすれば、新型コロナウイルスのような非常時でも、貴重な記録を収めようと列車を追い続ける人がいるのもおかしくはないかもしれない。鉄道は戦時下であれ、コロナ禍であれ、どのような状況にあっても動かし続けなければならないインフラである。そうであれば当然、鉄道を追う人たちも、どのような危機にあっても動き続けることになる。最初と最後の瞬間は二度とやってこないのだから。
同時代では顰蹙をかうような行動であっても、いつか貴重な記録として評価される日がくるかもしれない。歴史の記録とはそういう側面もあることは否定できず、そうした行為そのものを推奨はできないとしても、断罪するつもりは筆者にはない。
ただ近年、問題になっているのは、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために「密」を避けなければならないということ以前に、こうした「イベント」に人が殺到して、しばしば混乱が発生しているからだ。
「運行に支障が出る」として事前告知なしの引退
最近、鉄道会社の姿勢に変化が見られた事例があった。新型コロナウイルスの騒動が拡大する直前の2月28日、東京メトロのある車両がひっそりと引退した。1988年にデビューした日比谷線「03系」車両が予告なく営業運転を終了したのである。
これ以前、銀座線「01系」や千代田線「6000系」の引退時は、事前発表や車両の装飾、ラストランイベントなどが企画された経緯があるが、今回は何も告知が行われないままの、突然の引退であった。
鉄道情報サイト「鉄道プレスネット」の取材に対し、東京メトロ広報部は「千代田線6000系車両引退時、一部の鉄道ファンが車両やホームに殺到したことによる混乱により、運行に支障や、多くのお客様にご迷惑がかかる事態となったことに鑑み、引退イベント等は見合わせることとした」と説明したという。
日比谷線03系は、2000年3月に中目黒駅構内で5人が死亡する脱線衝突事故を発生させており、そもそも華々しいイベントを避けたかったのではないかという見方もできるが、それを差し引いても、鉄道ファンによって混乱が生じる状況を作りたくなかったというのは本音だろう。