明治時代、マスク着用は「奇行」だった

日本では、少なくとも江戸時代終わりごろには銀山で防塵ぼうじんマスクが使用されていました。その一例が、石見銀山で鉱山病対策として使われた「福面ふくめん」です。明治時代には伝染病患者治療の現場でマスク着用が見られます。しかしながら、日本人の市民生活において、マスクはあまり縁のないものでした。

例外的に、1898(明治31)年から1901(明治34)年にかけて「東都の婦女間に、白絹の襟巻きを鼻口にかけて顔の半分を包むこと流行せり」とのこと(『桃泉随筆』)。東京の新橋界隈の芸者が防寒のためにしていたものが「良家の婦女」の間にも広まったそうです。

『都の花』所載、流行夜目遠目の一節には、「女の中、風呂敷的の白襟巻きしたるが多く、いずれも鼻の上より打ち巻きて口鼻を隠したる。下品にて厭わしきものなり。反歯隠しなど称えて好し」とあります。さらには、男子にもこの風が移ったそうです。

この明治時代のマスクは、特異な諷刺家として知られる宮武外骨(1867~1955年)が発行した『明治奇聞』に「女の「反歯隠し」」と題して掲載されています。そのことからしても、一部の流行でありながら、社会的には奇行として認識されていたことがうかがえます。

きっかけは大正時代、「スペイン・インフルエンザ」の大流行

大正時代には「工場マスク」とよばれる粉塵ふんじんマスクがありましたが、一般には普及しなかったようです。しかし、スペイン・インフルエンザの大流行(1918~1920年)を機に、ウイルス感染予防としてのマスク着用が一般市民に広まっていきました。

スペイン・インフルエンザによって全世界で2000万から4500万人が死亡、日本国内(植民地を除く)でも死者は50万人に達したと推計されています。同時期にあった第1次世界大戦の戦死者は世界で約1000万人と言われていますので、被害の甚大さが分かります。

スペイン・インフルエンザの世界的な大流行で、多くの欧米諸国は感染予防のために一般市民に公衆でのマスク着用を義務付けました。

アメリカでは1918年の春からスペイン・インフルエンザが流行し、10月にはサンフランシスコで「マスク令」が発令され、外出時のマスク着用を全市民に義務付けました。マスク着用はサンフランシスコ以外の都市でも義務付けられ、同様の対策が欧州でも採られました。

その後、欧米諸国において公衆でのマスク着用は姿を消します。なぜ欧米諸国においてすぐに廃れたのかは不明であり、今後の重要な研究テーマとなるかもしれません。