求められる役割は「感染予防」から「不安除去」にまで拡大
日本社会で広く定着したマスクですが、厚生労働省のガイドライン(2008年)を見ると、マスクは「咳やくしゃみ等の症状のある人」が着用すべきとしていいます。実は健常者による着用は公式には勧めていないのです。
それにもかかわらず、マスク着用の目的の裾野はその後も拡大していきます。
さまざまな用途でマスクが利用される中で、大手マスクメーカーによる若年女性によるマスク着用をさらに推し進めようと試みが見られます。ファッションアイテムとして若年女性市場拡大を図っているわけです(※1)。
加えて、2011年から話題になり始めたのが「だてマスク」。これは「なんとなく落ち着く」「視線に曝されない安心がある」といった理由でマスクを着けることであり、「風邪でも花粉症でもないのに、年中マスクを手放せない」人々が多いことがメディアで語られました(※2)。
市民の間でマスクは、フェティッシュな着用方法から、被爆予防としてまで活用されただけでなく、個々人のさまざまな不安を吸収するための道具として活用される――。それが「だてマスク」として話題になったと言えるでしょう。
マスクは「日本のセーフティーブランケット」
東日本大震災の後、2011年5月16日付米国ロサンゼルスタイムズ紙には、「日本の薄くて白いセーフティーブランケット」(原題:Japan's thin, white security blanket)という題名の記事が掲載されました。日本のマスクを考えるうえで、わたしはこの「日本のセーフティーブランケット」とはとても当を得た表現だと考えています。
「セーフティーブランケット」とは直訳すると「安全毛布」。大きな意味では、子供が寝る時にお気に入りの毛布がないとダメとか、そのような、精神の安定に不可欠なモノを指します。つまり、具体的な防御策・解決策ない危機的状況において、その不安を解消し、精神的安定を取り戻すためのセーフティーブランケットが日本におけるマスクというわけです。
新型インフルエンザ、原子力発電所からの放射性物質飛散、そして今回の新型コロナウイルス……。そして、専門家の見解は分かれ、メディアや政治への不信が積もるばかり。問題は人々の不安自体ではなく、不安の原因を解決する手段を持っていないことなのです。まさにこういう状況の人々の不安がマスク着用という行動へと「昇華」され、不安はマスクへと「吸収」されていったと考えられます。マスク着用という行為は、あるリスクを軽減させるための道具的効果には限界があります。それはむしろ、象徴的行為、つまり儀礼として機能しているのではないでしょうか。