武田頼政さんは1958年、浜松市の生まれである。航空自衛隊浜松基地に近く、生まれて以来ずーっと頭の上には飛行機が飛んでいた。64年10月、東京オリンピックの開会式で青空に五輪マークを描いたブルーインパルスは浜松基地に所属する「特別飛行研究班」の5機だった。

たけだ・よりまさ●「航空ジャーナル」記者から、1988年フリーとなる。95年に、坂本弁護士一家殺害事件の全容をスクープ。2007年に朝青龍の八百長を告発する記事で「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム大賞」を受賞。著書『ガチンコ さらば若乃花』『Gファイル 長嶋茂雄と黒衣の参謀』。
武田頼政●たけだ・よりまさ 「航空ジャーナル」記者から、1988年フリーとなる。95年に、坂本弁護士一家殺害事件の全容をスクープ。2007年に朝青龍の八百長を告発する記事で「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム大賞」を受賞。著書『ガチンコ さらば若乃花』『Gファイル 長嶋茂雄と黒衣の参謀』。

武田さんは飛行機少年だった。パイロットにもなりたかった。しかし、武田さんが生まれる1年前、浜松基地ではF86F戦闘機やT-33ジェット練習機など8機が墜落し、6名のパイロットが亡くなっている。家族が飛行機乗りになるなど、許すはずがなかったが、航空記者ならと思いつき、81年大学を卒業して「航空ジャーナル」に入った。

翌年11月、武田さんにとって運命的な事件が起きた。「浜松基地航空祭」でブルーインパルスの6機が終盤の曲技課目「下向き空中開花」に失敗し、4番機が基地そばに墜落した。機体は爆発炎上し、操縦していた高嶋潔一等空尉(30歳)は即死した。なぜ高嶋機の機首は持ち上がらず、地上に激突したのか。

武田さんは謎を解き、事故の真相に迫りたかった。航空自衛隊の事故調査委は、事故原因が編隊長のブレイク指示の遅れにあるとしながらも、死んだ高嶋空尉に危機回避義務があり、その過失を問うことになった。高嶋空尉の遺族はこのような結論に従えなかった。

武田さんは事故発生の直前、パイロットの間でどのような言葉が交わされたか、どう絶叫が発せられたか、交信記録を入手したかった。自衛隊の広報を通していては真相に迫れない。そのためパイロットが退職して真実の言葉を吐けるまで、じっと待つことになった。勤める航空ジャーナルは廃刊になり、88年「週刊現代」の専属記者、その後フリーライターになり、相撲の800長の先駆報道で知られるようになったが、かたときも事故のことは忘れなかった。

つまり本書『ブルーインパルス』は文字通り武田さんのライフワークである。飛行機に関する武田さんの深く広い知識や人間関係への鋭い洞察が取材に答える元隊員たちの信頼と協力を勝ち得たことは当然だろう。殉職した高嶋空尉の夫人は本書を読んで「ようやくこれでわが家の歴史ができました」と謝辞を述べたという。

本書を、単に飛行機好きばかりでなく、広く技術と人間、組織と人間の関わり合いに関心を持つ人たちにお勧めする。ブルーインパルスの一点に集中して、ついに普遍に通じた力作である。

(小倉和徳=撮影)