「私鉄」になって激変した命名センス

その国鉄も戦後42年を過ぎ、分割民営化されて「私鉄」になった。JRになって初の改称は民営化翌年の昭和63年(1988)3月13日のダイヤ改正時で、JR東日本管内では二枚橋が花巻空港(東北本線)、面白山おもしろやまが面白山高原(仙山線)、岩手松尾が松尾八幡平はちまんたい(花輪線)、龍ケ森が安比あっぴ高原(同)、JR九州では大坂間おおさかま球泉洞きゅうせんどう、JR北海道では川湯が川湯温泉(釧網せんもう本線)にそれぞれ改称したのが最初である。北海道では「旭川」関連駅の読みを「あさひがわ」から「あさひかわ」に市名に合わせて変更したのも同日であった。ついでながら同時期に第三セクター会社に移管された路線では、より盛んに改称が行われている。

今尾恵介『駅名学入門』(中公新書ラクレ)
今尾恵介『駅名学入門』(中公新書ラクレ)

この改称から読み取れる傾向は「観光推進色」を前面に出したことだ。もちろん地元の意向もあるだろうが、これまで守り続けてきた旧国鉄の「駅名観」はその後着実に変化している。特にJR西日本は平成6年(1994)9月4日に全国で初めて「JR」を冠した駅を誕生させて話題になった。

その嚆矢となったのは関西本線の終点・湊町みなとまち駅の改称で、新駅名は「JR難波」である。駅の所在地は今も大阪市浪速なにわ区湊町で、難波は隣の中央区だ。地下鉄御堂筋線のなんば駅からは約450メートル、南海電鉄の難波駅からは650メートルほども離れているが、知名度が圧倒的に高い難波を名乗ることにより、この年に開通した関西空港線からのアクセス線としての優位性を南海電鉄(難波)と競う姿勢を鮮明にしたのである。かつての国鉄では考えられない発想だ。

「稼げる会社」に変貌を遂げたJRだが…

JR付きの駅は今のところJR西日本に限られているが、奈良線のJR藤森駅が京阪本線の藤森駅近くに平成9年(1997)に新設、片町線では上田辺かみたなべ駅を改称してJR三山木みやまき駅となった。平成13年(2001)に近鉄京都線小倉駅に近い場所に奈良線のJR小倉駅が新設され、その後は同16年のJR五位堂ごいどう駅(近鉄大阪線五位堂駅近く)が続く。同20年にはおおさか東線の部分開業でJR河内永和、JR俊徳道しゅんとくみち(それぞれ近鉄奈良線・大阪線と連絡)、JR長瀬(近鉄大阪線長瀬駅の近く)の3駅が連続して設けられて一気に増え、東海道本線にJR総持寺そうじじ駅が平成30年(2018)に新設、さらにおおさか東線が新大阪まで延伸された同31年3月にはJR淡路あわじ駅(阪急淡路駅近く)、JR野江のえ駅(京阪本線近く)が加わって全部で11駅である。

新駅を他の私鉄の既設駅近くに新設することで沿線の利便性の向上が図られたのも確かであるが、これまでその私鉄を利用していた乗客を横取りしようとする私企業らしい戦略も見える。特に関西圏の旧国鉄ローカル線は、私鉄と並行しながら競争の気配も見えない「やる気のない」状態であったが、民営化後はそれらにも投資して複線化や駅の新設、利便性の高い運行系統の新設などで見違えるように変身させ、着実に既存私鉄の客を奪っているようだ。「稼げる会社」への見事な変貌であるが、その積極的な経営姿勢が平成17年(2005)4月の悲惨な福知山線の脱線事故(死者107人、負傷562人)の遠因になったとも指摘されている。

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