候補1位の「高輪」が「正統」な根拠

130位という下位の候補が選ばれたことが注目されて不満の声も目立ったが、当然ながら「命名する権利」を持っているのは、この駅を建設するJR東日本である。それに最初から最大票数を得た候補に決めるなどとは表明しておらず、公募はあくまで参考に過ぎない。この公募をもとに「選考委員会」で決めたというが、もちろん会社の事業なのでJR東日本が人選したものであろう。

JR東日本が発表したプレスリリースには次のような選定理由が掲げられた。

この地域は、古来より街道が通じ江戸の玄関口として賑わいをみせた地であり、明治時代には地域をつなぐ鉄道が開通した由緒あるエリアという歴史的背景を持っています。

新しい街は、世界中から先進的な企業と人材が集う国際交流拠点の形成を目指しており、新駅はこの地域の歴史を受け継ぎ、今後も交流拠点としての機能を担うことになります。

新しい駅が、過去と未来、日本と世界、そして多くの人々をつなぐ結節点として、街全体の発展に寄与するよう選定しました。

新駅の予定地は港区港南2丁目(「港南」は公募7位)で、この町名は昭和40年(1965)に命名された新しいものである。新駅エリアの以前の町名は芝高浜町(旧芝区高浜町)。かつては海面であったが、そこを昭和4年(1929)に「3号埋立地」として造成、同8年に新たに命名したものだ。そこから最も近い陸地は現在では高輪2丁目で、昭和42年(1967)までは高輪北町きたまち車町くるまちょうにまたがったエリアだった。両町はいずれも江戸時代からの歴史がある。車町に高輪の文字は冠されていないが、運送業者にちなむこの町名が江戸時代に命名される以前は高輪の一部であった。候補第1位の「高輪」という駅名はこれだけ遡っても「正統」ということになる。

田町駅の「田町」は消滅してしまった

ここで一休みして、高輪ゲートウェイの隣に位置する田町駅に注目してみよう。この駅は明治42年(1909)12月16日に開業した。ちょうど山手線の電車が烏森からすもり(現新橋)~品川~池袋~上野間および池袋~赤羽間の運転を始めた日で、電車専用の旅客駅として隣の浜松町駅と同日に開業している。蒸気機関車の牽引する旅客列車に比べて電車は加速性能が高く小回りが利くので、ここに限らず電車化した路線には沿線の利便性を高めるために新駅が多く設置された。

田町駅が開業した頃の所在地は東京市芝区田町1丁目で、田町は上高輪村から寛文2年(1662)に町奉行支配になったという古い町だ。駅名も自然に所在地名を採用している。東海道に沿った細長いエリアに田町1丁目から9丁目までが並んでいた。ところが昭和42年(1967)に住居表示法による住居表示で芝5丁目と三田3丁目の各一部に統合、消滅してしまったのである。