「兼業主夫」を名乗り料理は全て自分が作る
料理はすべて私が作る。仕事があるとき、夜に会食がある際も、料理を作り置きしている。子供が生まれてからは保育園の送迎も加わり、さらに妻が休むことのできるよう、週末は1日につき半日は私が外に娘を連れ出すことにしている。平日に1日6時間、家事・育児に関わり、兼業主夫を名乗っている。
仕事もだいぶセーブした。子供が生まれる前には一時は月に20本あった連載は、今は数本である。私自身がオワコン化しているということもある。しかも、このプレジデントオンラインからの寄稿依頼も約束した日から1.5営業日遅れるというありさまだ。
たまに「普通の男の子に戻りたい」と思うことがある。ただ、もう戻れない。
なぜ、このようにライフスタイルを変えたのか? 感情論も現実的な意見も踏まえて記す。なんせ、待望の子供だったからだ。『金八先生』や『夏体験物語』などの10代の妊娠シーンに衝撃を受けた世代だが、いざ子供がほしいと思うと、なかなかできなかった。やっと授かった。後述するが、子供がいるといういわゆる「普通の家庭」になった幸せを味わい尽くしたいという想いはある。
二人でそれぞれ無理せず働くことが現実的
現実的かつ建設的な話をすると、私の方が料理や買い出しが得意であり、サービス精神旺盛なので、子供の対応に向いているということに気づいたからだ。経済的安定を考えると二人でそれぞれ無理せず働くことが現実的だと考えたというのもある。さらには、どう頑張っても、私は出産することができないし、授乳をすることもできない。そこに男の限界を感じたからだ。
仕事も物書きとしての限界を感じた時期であり、ここでいったんスローダウンした方があとあと復活できると考えたのだ。人生は長いので、ここで「人間活動」をするべきだと考えた。今まで見えなかったものが見えるのではないかと考えた。
新しい父親像をつくるべく、旧来の男らしさは徹底的に捨てた。育児をやり始める前から共働き夫婦であるがゆえに、働く妻を支えるために、家では召し使いロボットの「バニラちゃん」という設定だった。子供が生まれた当初は、育児のやり方がわからなかったので、最初の頃は妻の指示に何から何まで従っていた。料理はまだわかる。ただ、娘への接し方がわからなかった(今も絶対に、妻と娘には反論せず、絶対服従を誓っていることには変わらないが)。そもそも、食後赤ちゃんにゲップをさせる方法や、ミルクの作り方もわからなかった。
娘が生まれたばかりの頃は、何かミスをするたびに「すみません、すみません」と頭を下げる日々だった。当初は人間リモコンだった。電波の届く場所にいて、ひたすら指示にしたがう。家事・育児をこなしていくうちに「AI搭載」「機械学習」「ディープラーニング」状態で、自分で動けるようになった。今では「仲居さん」と呼ばれている。