20番だが8番的な長谷部誠の本質
長らく日本代表の主将を務めた長谷部誠は、20番をつけていたが、8番的な選手だった。藤枝東高校から浦和レッズに入った直後、長谷部は攻撃的な中盤――10番の選手だった。恐らく、彼はそのポジションでは大成することはなかっただろう。彼を守備的なポジションに回したのは慧眼だったと言える。
近年彼はドイツでディフェンダーとして起用されている。彼のSIDは8番、あるいは4番にあったというべきだろう(フランクフルトでゴールキーパーが退場処分になった後、交代枠を使い切っていたため、長谷部が長袖のシャツを着てゴールキーパーを務めたこともある。ついに1番まで下がったのだ!)。
2番や3番、あるいは6番をつけることが多いサイドバックにも独特のSIDがある。それは“いじられやすい”ことだ。ぼくの経験では、ブラジルでもパラグアイでもフランスでも同じような傾向があった。
日本代表の長友佑都はどこのクラブに移籍してもチームメイトから愛されている。彼はまさにサイドバックのSIDを持っている。
その意味で前出のジョルジーニョは二番をつけた右サイドバックだったが、サイドバックっぽくはない。ジョルジーニョはサイドバックの他、守備的中盤――ボランチもこなした。本当はそちらの方が向いているのではないかとぼくは睨んでいる。ドゥンガがいなければ彼のポジションをジョルジーニョに任されたかもしれない。その意味で94年のブラジル代表には二人の8番的選手がピッチにいたことになる。あのセレソンは、面白みはなかったがしたたかで強かった、というのは腑に落ちる。(続く)