和やかな雰囲気だが犯罪率の高い地区

ぼくたちが話していると、道を歩いている人がにこやかに笑いかけてくる。ドゥンガも手を挙げて挨拶を返した。和やかな雰囲気である。しかし、非常に犯罪率の高い地区である。

「この地区の人間、全員が悪い人間ではない。ただ、非常に犯罪率が高いことは事実だ。麻薬も簡単に手に入る」

ブラジルの大都市の周辺に貧民街が広がっていくのは理由がある。都市の魅力につられて、あるいは貧困から逃げ出して職を探して、農村部から都市へと人間が移動してくる。しかし、手に職のない人、学歴のない人間に仕事を見つけることは難しい。彼らはやむなく空いている土地に不法占拠をして、バラック小屋を建てる。それが次第に拡大していった。

暴力という種は、貧困という栄養を得てあっというまに茎をのばし、都市にからみつく。そして、暴力という果を実らせて、次々と新たな種をまき散らしていく。

“トラフィカンテ”と呼ばれるブラジルの新興マフィアは、少年たちにまずは“お使い”をさせ、多めの小遣いを渡し、組織の中に取り込む。そして次第に「重要」な仕事を任せていくのだ。貧しい少年たちの心を麻薬、金で掴むのは、難しくない。それに抗うには、地道な努力しかないのだとドゥンガは静かな声で言った。

大声を出してチームメイトを叱咤激励

現役時代、背番号8を付けた彼は大声を出してチームメイトを叱咤激励していた。ジュビロ磐田にいたときは、強く言うと日本人選手たちが萎縮してしまうから抑えてくれと言われたのだと首を振った。

磐田のときはともかく、スター選手の集まるブラジル代表で何を指示していたのかと聞くと事も無げにこう返した。

「試合前に出されていた指示を忘れる奴がいるのさ。始まって20分ぐらいはロナウドたちも守備に力を割く。危ないときは(自陣に)戻ってくる。しかし、試合が進むと自分の役割を忘れる。指示を思い出させる人間が必要なんだ」

ロナウドは2002年ワールドカップで優勝、得点王となったブラジルを代表するストライカーである。98年ワールドカップでロナウドとドゥンガは同じチームになっている。

ドゥンガは9番の選手についてこう表現した。

「普通のリーグ戦ならば一試合で4、5回ゴールに繋がるチャンスがある。4、5回あれば1点は決められる。しかし、代表の試合はそうじゃない。相手のディフェンダーも集中している。2回チャンスがあったとしたら1回はゴールを決めなきゃいけない。鷲や鷹のように1センチの隙間でもあったらそこを目がけて突き進むぐらいの気持ちがなければ駄目なんだ。ロマーリオやロナウドはそうだった」

ただし、と付け加えた。

「一人の選手が全てを解決できるわけではない。彼らが違いを生み出すには、周りのサポートが必要だ。それがサッカーという競技なんだよ」

サッカーは様々なパーツを組み立てて走らせる自動車のようなものだ。エンジン、ハンドル、タイヤ、シャーシ、それぞれの役割がある。

得点を決める9番、ゲームを組み立てる10番、彼らの手綱を引く8番――さらに守備を固める4番のセンターバックや1番のゴールキーパーはチームという自動車の芯でもある。