物理的境界を超えて「移動」する作品

【猪子】むしろ、全部を観てほしいとまでは思っていないよ。そもそも、作品が常にいろんな場所へと移動するから、全貌を把握すること自体がまず不可能なんだよね。たとえば、『カラス』や、そのシリーズ作品(『追われるカラス、追うカラスも追われるカラス、そして浮遊する巣』)では、その空間からカラスたちが飛び出して、ほかの作品の空間にいく。そんなふうに、本当に作品の物理的な境界がないどころか、作品そのものが移動先の空間やメディアによって違う様相を見せる展示になっている。

©teamLab
『追われるカラス、追うカラスも追われるカラス、そして浮遊する巣』

【宇野】ある作品がほかの作品に侵入することで作品間の境界が喪失する、というのは17年のロンドン展から始まったコンセプトだけど、今度はその発展形でひとつの作品が移動するごとに形態を変えていく。しかし、それは当然の進化だね。というか、そうじゃないと本当はいけない。境界がなくなって自由になっても、そのことで自分が変わらないと意味がないのと同じだね。

時間をコントロールするアート

【猪子】これまでは、作品というのは作家の思いが物質でできたモノに凝縮されていたわけだけど、デジタルテクノロジーによるアートは物質から分離され解放されたので、作家の思いは、モノではなく「ユーザーの体験そのもの」に直接凝縮させていくという考えでつくっていくことができるのではないかと思っていて。そうなったときに、モノを博覧的に並べるのではない、もっと最適な空間や時間のあり方があると思うんだよね。

たとえば人間は動くことがより自然であるから、人々の体験に直接凝縮させることが作品であるならば、作品自体も人々と同じように動いていてもいいと思うんだよ。

あとは、人の時間は刻々と進んでいくのに、作品の時間は止まっていたり、映像だとカットが入ったりする。それが時空の境界を生んでいると思っていて、その時空の境界もなくしていきたいんだよね。

【宇野】言い換えると、従来の美術館アートとは、空間のコントロールだったわけだよね。つまり、人間がある位置からモノを見るという物理的な体験を提供する場で、突き詰めると、作品に反射した光を目がどう受け取るのかということでしかない。それに対して、チームラボはそこに時間のコントロールを加えようとしてる。