京都を押し出される日本人
また日本人にとっての京都の魅力・人気の低下にかんしても、京都市の発表した平成30年度「京都観光総合調査」にその背景をうかがわせる調査結果がある。
実際に京都を訪れた日本人観光客への調査で、9割を超える人々が「京都観光に満足した」と答えている一方、「京都観光中に残念なことがあった」と答えた日本人も4割を超え、その多くが「観光客が多すぎて観光を楽しめなかった」「観光客のマナーが悪い」「いつも道路が混んでいる」などオーバーツーリズムに起因すると思われるものなのだ。
これはつまり満員電車の乗客の悲鳴と同じで、京都がそのキャパシティを超えた観光客を受け入れていることへの苦情ともいえる。
ホテルの部屋数やバスの本数、また観光空間の広さなど、観光にかんするさまざまなインフラ的要素との兼ね合いのなかで、どれだけの観光客を受け入れられるかという観光地のキャパシティは有限である。
ホテルの予約合戦に負け、多すぎる観光客のために観光を楽しめない日本人観光客。そこには京都に押し寄せる外国人観光客と限られた観光インフラを奪い合い、「負けて」押し出される日本人観光客という構図が見え隠れする。
「日本人の京都ばなれ」というより「京都から日本人が押し出されている」というほうが実状に近いといえるだろう。
外国人観光客の「質」の変化が招いた問題
そして、日本人観光客が減り外国人観光客が増えるというのは、京都を訪れる観光客数という「量」はそれほど変わらなくても「質」が徐々に入れ替わっていることを意味する。
本書で見てきたような京都におけるオーバーツーリズムをめぐる問題は、じつは単に観光客の数が増えたことによるものではなく、全体の観光客数はそれほど変わらなくてもその中身が外国人観光客に取ってかわったことで惹起しているのだ。
全体の観光客数は変わらなくても、そのなかで外国人観光客の比率が増えることで起こる問題はさまざまにあるが、まずは「集中」にかんするものと「文化」にかんするものとがあげられる。
外国人観光客の比率が高くなると必然的に「京都ははじめて」という人が多くなる。そうすると、清水寺や金閣寺など、日本人観光客であれば「修学旅行でいちど行ったから、もういいかな」と思ってしまう京都のゴールデンルートといわれる「ド定番」スポットに観光客が集中することになる。また、バスの一日乗車券などを使用する人が多いため、限られた交通機関に観光客が集中してしまう。