創価学会員が富士山麓に押し寄せた時代もあった
静岡県富士宮市の大石寺もまた富士山麓にある。「多宝富士大日蓮華山」を山号とする日蓮正宗の総本山であり、正応3(1290)年に日蓮(1222~82)の高弟六老僧の一人、日興(1246~1333)により開創された。身延山久遠寺を総本山とする日蓮宗同様、日蓮を宗祖とするが、日蓮宗が日蓮を「日蓮聖人」と呼ぶのに対して、日蓮正宗は「日蓮大聖人」と呼んで区別している。
大石寺への参詣者数が激増するのは、創価学会が日蓮正宗の最大の信徒組織へと発展した戦後になってからだ。第2代会長の戸田城聖(1900~58)が、1950年代前半から「月例登山」(登山は参詣を意味する)を奨励し、学会員がこぞって参詣するようになった。
さらに第3代会長の池田大作(1928~)は、大石寺の境内に「大御本尊」を安置するための正本堂を72年に完成させる。だが巨大化した創価学会は、91年に日蓮正宗から破門され、98年には正本堂も解体された。
宗教の指導者たちにとっての富士山とは
施設が解体されたり、信者が来なくなったりする教団がある一方で、新たに本部を富士山麓に構え、世界中の信者を呼び寄せる教団もあった。98年には、「世界人類が平和でありますように」と書かれたピースポールで知られる白光真宏会が、本部を千葉県市川市から、オウム真理教の富士山総本部があったのと同じ地区の富士宮市人穴に移している。白光真宏会はここを「富士聖地」と称し、一年を通してしばしば大きな行事を開催している。
なぜ、富士山に吸い寄せられるようにして、さまざまな教団が集まってくるのか。麻原彰晃や池田大作をはじめとする教団の指導者たちは、富士山をどのように見ていたのか――「麓」と宗教の関係を探るべく、富士吉田市の富士講と旧上九一色村のオウム真理教の観点から富士山の山容を眺めつつ、山の北側から西側にかけての「麓」に点在する施設やその跡を車で回ることにした。