リーマン買収は終わりの始まりか

野村証券と証券業界の歴史
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“営業の野村”に懸念される材料がある。主幹事の地位が大きく下がっていることだ。今や、主幹事を担当しながらも、企業がより有利な条件を求めて証券会社を選ぶのは、当たり前のことだろう。だが、本当にそれだけの理由だろうか。すかいらーくと同様に野村が主幹事を務めながら、社債発行などを他社に持っていかれた例として、松下電器産業(現パナソニック)、東急不動産などがある。かつての野村は主幹事として取引先の信頼をしっかり勝ち取っていたはずだが……。

野村は、ミディさんと呼ばれる地域に密着した女性外務員が乾いた雑巾を絞り出すように集めてきた資金を運用して成長してきた。ヘトヘト証券を地で行くように、強力な営業部隊がミツバチのように働き、そこで集めた豊富な資金を本部に集めてきた歴史の積み重ねだった。1500兆円ともいわれる日本の“眠る個人資産”を掘り起こす営業部隊が冷え切っているという声が聞こえてくるのだ。

「リーマンの人件費で消えていく」では営業部隊のやる気も起きない。

また09年2月1日に“緊急”支店長会議が開かれた。この会議は、ある参加者によれば、緊急でもなんでもない上層部の話を聞いただけの無意味な会議だった。「何が緊急だったのかよくわからない、形ばかりの会議で野村の危機感はどこへいったのか」と、支店長は憤慨する。

今、野村の上層部は口を開けば、リーマンで「新生野村」を見せるという。だが、リーマン買収は、野村の終わりの始まりにも見える。98年に“損失処理”した渡部が、今度は野村の敗戦処理をする。そんなブラックなジョークが現実になる日が迫っている。(文中敬称略)