朝日社説は芸術ならすべて許されると考えているのか

ここからは肝心の朝日新聞の社説(10月16日付)を読んでみよう。

冒頭部分で企画展を「入場が抽選制になるなどの制限は残ったが、不当な圧力に屈しない姿勢を示せたのは良かった」と評価し、こう主張する。

「一連の出来事は、表現活動をめぐる環境が極めて危うい状態にある現実を浮き彫りにした。引き続き問題の所在を探り、是正に取り組む必要がある」

そういうなら産経社説の攻撃に真っ向から反論して「問題の所在」をしっかりと探るべきではないか。

朝日社説は「騒ぎの発端は、作品を見ることも、制作意図に触れることもないまま、断片情報に基づく批判が開幕直後に寄せられたことだった」とも書くが、産経社説が問題視する、天皇や日本人に対するヘイト表現に対する抗議も「断片情報に基づく批判」とみなすのか。朝日社説は芸術であればすべてが許されるとでも考えているのか。

10月24日時点で、朝日社説は産経社説に対し、正面からひと言も反論していない。

朝日社説は天皇や日本人に対する非常識表現をどう考えるのか

続いて朝日社説は文化庁を批判する。

「とどめは文化芸術を守るべき文化庁だ。9月下旬になって、内定していた補助金の不交付を決めるという暴挙に出た」
「行政が本来の道を踏み外し、暴力で芸術を圧殺しようとした勢力に加担した。そう言わざるを得ない」
「美術、文学、音楽を問わず、既成の概念や価値観をゆさぶる作品が、次の時代を切り開き、自由で多様な方向に世界を広げる原動力になってきた。それが否定されてしまえば、社会は閉塞状況に陥るばかりだ」

権力に対抗しようとする姿勢は新聞の社説にとって欠かせない。だが「暴力で芸術を圧殺」の表現は強すぎるのではないか。

「既成の概念や価値観をゆさぶる作品」とまで企画展「表現の不自由展・その後」の作品を評価するが、天皇や日本人に対する非常識とも思える表現も、その評価に含めたいのだろうか。そこが読んでいてよく分からない。

産経社説は「天皇や日本人へのヘイト表現」と批判しているが、朝日社説はその批判にどう答えるのか。朝日社説の反論が読みたい。