平成30年間の“負け”は、もう言い訳できない

撮影=西田香織

30年前の日本は“世界に冠たる”と形容される企業がいくつもありました。平成元年(1989年)の「世界時価総額ランキング」で、日本企業はトップ10に7社、トップ50に32社がランクインしています。それが平成30年には、トップ10に日本企業はゼロ、トップ50にやっとトヨタ自動車が入っているだけ。時価総額が低いのは、日本企業がそれだけ儲けていない証拠です。

総収益のランキング「フォーチュン・グローバル500(Fortune Global 500)」では、90年代前半に日本企業は150社前後。それが現在は、50社前後と3分の1です。

当時は「米国流の経営は、短期利益主義だからいずれ滅びる」といわれ、日本の経営者は自信満々でした。30年後の時価総額で、米国企業が世界トップ10の半数以上を占めるとは想像もできなかったのです。

90年代のフォーチュン500では、米国企業は日本と同じ150社ほどランクインしていました。現在も130社ほどいます。米国流のほうが長期的に成長していたのです。

一方で「日本の国際競争力が低いのは円高、高い法人税率、電力不足などの“六重苦”が原因」という見方もあります。しかし30年も負けが込んでくると、その言い訳も通用しないでしょう。環境に対応できなかった経営に問題があったと認めざるを得ません。その根本原因を理解することが“平成30年間の後れ”を取り戻す第一歩です。

ゲームチェンジは強みを弱みにする

かつて日本企業が世界を席巻できたのは、みごとなほど工業化社会のゲームに適応したからです。日本経済を牽引したのは、世界トップクラスのものづくりでした。開発部門が製品の機能を高め、製造部門は高品質の製品を効率よく大量生産したのです。それは、改良と改善を重ねていく技術革新の成果でした。

この改良的イノベーションは、会社組織にも連続性があるほど強くなります。過去の成功と失敗が活きるゲームなので、お互いの知識、経験、思考が近いほど話は進みやすい。つまり、組織の同質性が強みでした。一括採用、終身雇用、年功序列、企業内組合といったクローズドな組織ほど有機的な結束は強く、そこで勝ち残った人が経営陣となり、トップに立ったのです。

ゲームチェンジが起こったのは90年代前半、日本が平成に入った頃です。2つの大波がほぼ同時に押し寄せてきました。

1つは、グローバル社会です。約40年つづいた米ソ冷戦が終結し、国際的な交通や通信が整備されてヒト、モノ、カネ、情報が国境を越えて動き出します。その結果、国際分業などの経済活動が飛躍的に進展しました。

もう1つの大波はデジタル革命です。コンピュータやインターネットの利用が急速に進み、世界はIT社会に突入しました。この大波にエレクトロニクス分野などは瞬く間に飲み込まれ、従来のビジネスは跡形もなく一掃されました。たとえば、日本が得意とした垂直統合型のテレビ事業は、いまや地球上に存在しません。その後は自動車、重電、医療、サービスまで大きく変容しています。このグローバル化とデジタル化は、過去の環境とは連続性がない“破壊的イノベーション”でした。