ヨイショがうまくなくては編集者は務まらない

すると今度は、「作家やその作品に敬意を持っていたら誰であれ失礼過ぎて提案できないと思う。企画した出版社が一番、この作家や作品を軽視していたということじゃないかな」、「廃刊(原文ママ)した月刊誌のときといい、今回といい、この会社には保身という言葉はあっても矜持きょうじという言葉はないのでしょう」という批判が殺到したのである。

昔、作家の山口瞳から、「作家というのは女々しいものです。だから、何でもいい、原稿をもらったらまず褒めなさい」といわれた。

ヨイショするのがうまくなくては編集者は務まらない。どんな駄作でも、「先生、これはすごいですね。売れますよ」と文字通り歯の浮くようなお世辞で、著者をいい気持ちにさせなくてはいけない。

帯に書くことがなければ、「傑作です!」としておけばいい。某大文豪は、どこの社の原稿でも、まず、褒めるのが上手な懇意の編集者に最初の原稿を見せたそうである。褒めて褒めて褒め倒してもらった後、頼まれた社の編集者に見せたという。

そのヨイショを読者にやってもらおうなどと考えるのは、編集者としての資質を疑う。

「新聞にできないことをやる」と週刊誌を創刊し63年

私の若い頃、新潮社の人間は知的で孤高の人が多く、三文編集者には近寄りがたかったが、最近は様変わりしたのだろうか。

新潮社は1896年(明治29年)創業だから120年を超える堂々たる老舗である。文芸雑誌の雄『新潮』は1904年に創刊されている。

文藝春秋の『文学界』や講談社の『群像』はずっと後である。新潮文庫は1914年(大正3年)に創刊されている(講談社文庫は1971年)。文藝出版社として名声を轟かせてきただけではなく、新しい時代を切り開く雑誌の創刊にも積極的であった。

新聞社系週刊誌の全盛時代に、出版社として初の週刊誌、『週刊新潮』を創刊したのは1956年だった。

情報も取材力もない出版社が週刊誌など出せるわけはないと、新聞社は嘲笑あざわらったという。だが、「新聞にできないことをやる」をコンセプトに、新聞批判とスキャンダルを武器に部数を伸ばし、後に続いた『週刊現代』『週刊文春』とともに、新聞社系週刊誌を蹴散らし出版社系週刊誌の黄金時代を築くのである。

多くの文士を育てた名編集者・齋藤十一は、『週刊新潮』でも手腕を発揮し、多くの名企画、名タイトルを生み出し、新潮ジャーナリズムをつくり上げた。齋藤が率いる新潮の取材力とタイトルの切れは群を抜いていた。共産党批判も舌鋒ぜっぽう鋭かった。

その新潮に1978年、当時共産党副委員長だった袴田里見が、『「昨日の同志」宮本顕治へ——真実は一つしかない』という宮本委員長批判の手記を寄せるのである。あの時の衝撃を今でも覚えている。