執念の取材で桶川ストーカー事件の犯人を特定した

それ以前にも新潮は、誘拐事件の際、犯人を刺激する懸念から詳細な報道を控える新聞の「報道協定」があまり長きにわたって結ばれていると批判し、新聞を尻目に誘拐事件を報道するなど、独自路線で気を吐いた。

1981年に日本初の写真週刊誌『FOCUS』を創刊したのも齋藤であった。その時の齋藤の言葉、「殺人犯の顔が見たくないか」は、業界の語り草になっている。

FOCUS記者だった清水潔(現日本テレビ)が執念の取材の末、犯人を特定した桶川ストーカー事件は、ストーカー法ができたばかりではなく、週刊誌史上に輝くスクープである。FOCUSはその前にも、ロッキード事件で逮捕された田中角栄元総理の法廷での隠し撮りに成功して、大きな反響を呼んだ。

純文学出版の老舗でありながら、常に新しいものにチャレンジしていく新潮社魂が、戦後の出版業界をリードしてきたことは間違いない。

1997年に起きた神戸連続児童殺傷事件は、当時14歳の中学生による犯行だったため、少年法に守られ少年Aとしか公表されなかったが、『FOCUS』(7月9日号)は、少年の実名と顔写真を掲載した。

さすがに賛否が巻き起こり、抗議した作家の灰谷健次郎が、全ての作品の「版権」を新潮社から引き揚げるという騒ぎにもなった。だが、FOCUSが投じた一石は、少年法のあり方を考えるきっかけとなったことは間違いない。

1997年をピークに、出版界全体の売り上げが右肩下がりになる中で、新潮の屋台骨を支えてきた新潮文庫の売れ行きがよくないといううわさが、業界に広まっていった。

そんな中で大誤報事件が起こるのである。

部数稼ぎを認めるも、“ニセ実行犯に騙された”と釈明

『週刊新潮』が2009年2月5日号に掲載した「実名告白手記 私は朝日新聞『阪神支局』を襲撃した」がそれだ。

この事件は87年5月3日に、目出し帽を被り散弾銃を持った男が兵庫県西宮市にある朝日新聞の阪神支局を襲った。小尻智博記者が死亡、犬飼兵衛記者も重傷を負った、憎むべき言論テロ事件である。赤報隊の犯行だといわれているが、いまだに犯人はわかっていない。

網走刑務所に収監されていた人間が、「自分が犯人だ」と告白する手紙を新潮編集部に送ってきた。赤報隊の事件を追っていた朝日新聞の記者も件の人間には会っており、話に真実性はないと断じていたのだが、新潮編集部は裏を取り、信ぴょう性があると確信したとして、強引に掲載した。

その結果、大誤報になり謝罪することになるのだが、この時の編集長の掲載動機も、何とか部数を増やしたいというものだった。

A編集長は自身の筆で「『週刊新潮』はこうして『ニセ実行犯』に騙された」(4月23日号)と題する10頁のトップ記事を掲載して誤報を認める。だが、だまされたとは被害者だといわんばかりではないか、本当に反省しているのかが疑問という批判が巻き起こった。

新潮社は佐藤隆信社長とA編集長(当時)を20%、他の取締役7人を10%、それぞれ3カ月間減俸処分にしたが、外部委員会などによる誤報の検証は行わないと明言した。