空気を読んでリストラ役を買って出た結果……
彼らは空気を読ませようとする。「リストラの断行が決まった」「大変ですね」「大変だ。これから会社全体を精査して、リストラ対象を選定しなければならない」「誰がやるのですかそんな大役を」彼らは、社内でも精神的に弱そうな人間の名前を挙げ、虚空を数秒見上げ、それから僕をじっと見つめる。
そして独り言のように、「彼はもたないだろうなあ……。何か起こったら責任取れないよなあ……。子供はまだ保育園に入ったくらいか……」とつぶやく。おらおら空気を読む状況だぞと。
良心の呵責に耐えられなかった僕はリストラ役を買って出てしまう。空気を読んだのだ。そして、それは結果的に大間違いであった。空気をスーハーしてやり過ごせばよかった。リストラ対象となった人からは死ぬまで恨むと脅迫された。
上層部からは遅々として計画通りに進まないリストラに対し「進捗はどうなっている! まさか部下から嫌われることにビビってるんじゃねえだろうな!」と不条理な喝を入れられた。あのとき、空気をスーハーしてやり過ごしていればよかった。後悔とストレスと当時リストラった人たちからの非通知着信が今も僕を苦しめている。
「先制スーハー」で空気を吐き出す
空気を読むことが万事をうまく動かす特効薬ではないということがおわかりいただけただろう。僕は改めて空気を吸うものだと考えるようにした。つまり、その場の雰囲気を読むのではなく、その雰囲気を吸い込むように総括して吐き出すのである。先制スーハーである。
たとえば、何らかの問題に対する対策会議が何の解決も見出していないけれども終わらせたい雰囲気が充満してきたら「皆さんは責任を取りたくない気持ちが強く、何の意味もない結論で終わらせようとしていますけど、ここで踏ん張らないとまた改めて会議をやらなきゃいけなくなりますよ。事態は今よりも悪化しますよ」と吐き出す。
先ほどのリストラ役依頼の局面なら「私に任せたいならはっきりとおっしゃってください。嫌われたくないのはわかります。でも、ご自分の責任からは逃げないでくださいね」となる。
このように空気を読むものから吸うものに変えて吐き出すことによってその場しのぎという悪しき慣習は少なくなるが、これも「空気読めよ」と言われてしまうのが関の山だろう。
それくらい「空気を読む」は今の時代において無双状態なのだ。このまま空気の読み合いが高度に発達したら、剣豪同士が互いの手を読み合って膠着状態になるように、会議が空気の読み合いに終始して、サイレント会議になるのではないだろうか。結果的に無駄な会話をしなくてすむようになるから、まあいいか。