やらなくてはいけないことに対して気が進まないとき、どうすれば前向きになれるのか。ブロガーのフミコフミオ氏は、「『どうせやるなら何か得られるものを探そう』と貪欲に取り組むと、何事にも意味が生まれる」という——。

※本稿は、フミコフミオ『ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

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世の中は無意味に見えることであふれている

45歳。人生も残り半分になったので何をするにも「どーせやるなら」の精神で取り組み、そこで得られるもの全部を得ていきたいと考えるようになった。現在取り組んでいること、目の前にあるものが人生で最後かもしれない。そんな解散ライブに臨むロックバンドのような気分。アンコールを求められなくてもアンコールに応える気概。

仕事、学業、研究、それから法事。人生はやりたくないけどやらなきゃいけないことの連続だ。年齢を重ねるにつれ、会議、ミーティング、接待……、やりたくないけどやらなきゃいけないことは増える一方である。

「大人になるための我慢」と諭され、クソつまらないテスト勉強や受験戦争を耐え抜き、やっとの思いで大人になったのに、それでもやりたくないことが増える一方というのは、どういうことなのだろう。だまされたのだろうか。

やらなきゃいけないことのうち、意味のあるもの、今やらなきゃならないものがどれだけあるというのか。いいところ3割くらいだろう。社会に出れば無意味な会議や意味不明なミーティングがあるとは薄々わかっていたから、驚きはなかった。「世の中にはアホなことにアホなくらい真面目に取り組んでいるアホがいるのだなあ」と感動すらした。

何か考えているようで、何も考えていない。いい大人たちが仕事しているポーズをすることで会社という組織のなかで大真面目に真剣に生き残ろうとしているのが、滑稽で、哀しかった。