小出義雄監督「なんで? と思うな。せっかく、と思え」

この文章を書いているとき、日本陸上競技界の名伯楽・小出義雄監督の訃報が飛び込んできた。シドニーオリンピック金メダルのQちゃんこと高橋尚子選手をはじめとして数々の名ランナーを育てた名将であり、超有名人。

最近、見かけないと思っていたら、体調を崩されていたらしい。合掌。で、小出監督の訃報に監督から指導を受けた元選手たちがインタビューに答えたり、コメントを発表したりしていたのだけれど、そのなかにはっとするものがあった。

有森裕子元選手のコメントだ。有森さんが故障したときに小出監督は、「なんで? と思うな。せっかく、と思え」とおっしゃったそうだ。小出監督は意味がないことは何もないのだと有森さんに言ったのである。

「どーせやるなら」と小出監督のおっしゃった「せっかく」はよく似ている。オリンピアンの故障と、底辺会社員の飲み会を同じレベルでとらえるのもどうかと思う。だが、人生で起こるネガティブな事象をただ意味がないと決めてしまったら、本当に意味がなくなってしまうのだ。

「どれだけ砂金を集めて金塊にできるか」が人生の面白さ

どーせ、せっかく、ととらえることによって、砂金のように流れてしまうものをとらえられるのだ。つまり物事や行動に意味を与えるのはその人の考え方次第なのだ。

フミコフミオ『ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。』(KADOKAWA)

僕が営業という仕事をしていていちばん楽しいときは、「ものになりそうにない」と感じた案件、上司から手を引けと言われた案件が予想外にものになって大きな仕事につながったときだ。ガラクタのなかから宝物を見つけたようなサイコーの気分になる。

長いようで短い人生のなかで、砂金みたいなものをどれだけ集めて自分だけの金塊にできるかが人生の面白さのひとつなんじゃないかと僕は思っている。もちろんうまくいかないことのほうがめちゃくちゃ多いが、そのうまくいかなさにも価値はあるのだ。

そう考えれば、意味がないように思える僕らの毎日も、そう悪いものではないと思えてくる。自分の人生を金色にするのもウンコ色にするのも自分次第なのだ。

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