人の意見に対し、「普通」や「常識」という言葉で反論してくる人たちがいる。ブロガーのフミコフミオ氏は、「そのような人は、自分と同じ意見の人を味方につけて安心したいだけ。その反論が正しかろうが、間違っていようが、的外れだろうが、関係ない。クソだ」という——。

※本稿は、フミコフミオ『ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

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それが本当に信頼できるものなのか考えもしない

「普通はそう考えるよ」「それが常識だよね」そういったフレーズで締められる反論は誰のものであれクソ。その反論が正しかろうが、間違っていようが、的外れだろうが、関係ない。クソだ。だいたい「普通」や「常識」という言葉を持ち出して、「よう! 大勢は決しているのだぜ」と宣言しているのが気に入らない。

人間は、意識的であれ、無意識であれ、味方を求めてしまいがちである。お化け屋敷に入って恐怖に襲われたとき、つい知らない人の袖につかまりたくなってしまう。その袖が本当に信頼できるものなのか考えもしないで。僕はその浅はかさをクソと言っている。

「普通って口にするけどさ、どう普通なの?」「常識であると確認したのかい?」と僕が尋ねると、根拠を示して説明できる人はほとんどおらず、「普通だから普通。常識だから常識なんだよ!」などと「ウンコだからウンコ」というような子供じみた戯言をぶちまけるので、バカバカしさに呆れて、話す気力がなくなっている僕を指して、彼らは「ほら見ろ。普通や常識の前に何も言えなくなっているじゃないか」と勝利宣言をする。

そんなアホらしい寸劇を繰り返してきた僕の半生であった。