「普通」は少数を押し潰そうとする数の暴力だ
黙っているのを「了解」のポーズにとられることが多く、そのせいで何度も胃に穴が開くようなつらい思いをしてきた。「普通(とか常識)」は怖い。根拠なく多数決で勝っていると信じている状態であり、数の暴力で少数を押し潰そうとしているからだ。ご自分の平凡さと、大多数に属する普通や常識とを混同していることに早く気付いてもらいたい。
ランキング番組が好きだった。今でも当時ランキングをにぎわしたヒットソングを聴くと、「うわっ! 懐かしい!」と嬉しい気持ちになる。
僕が好んで聴いていたのは、ポリスをはじめとしたイギリスやアメリカのロックバンドで、自分だけの音楽、ベッドルーム・ミュージックだった。だから誰かとその価値を分かち合いたいとは思わなかった。今みたいにインターネットで他の町に住む同じ趣味嗜好の人間を容易に見つけられなかったので、「自分だけがわかればいい」と諦めていたのだ。
高校時代、好きなバンドの音楽を友達に聞かれ……
高校生のとき、カセットウォークマンで聴いていたテープが見つかってしまった。放課後、トイレに行っているとき、電源をオフにするのを忘れて机のなかからシャカシャカ音がするのを見つけられたのだ。
僕が教室に戻ってくると、友達が僕のイヤフォンを耳に差し込んでいた。「あのイヤフォンを二度と自分の耳に入れるのはごめんだ。生理的に無理だ」と思った。友達はイヤフォンを抜いて「これ、何ていう音楽? 知らないんだけど」と尋ねてきた。「ザ・ストーン・ローゼズ」僕は答えた。「へー。そういう音楽、聴いているんだ。意外だな」彼は言った。
当時は『三宅裕司のいかすバンド天国』が大人気で、バンドブームが起こっていた。だが人気の中心は、あくまで日本のロックバンド。ごく一部のバンドを除けば、洋楽のバンドで日本のバンドほどメジャーな人気のあるものはなかった(はず)。
「好きで聴いているのだからいいじゃないか」僕は答えた。友人はウォークマンを机の上に戻すと、「でも、普通はそういう音楽、聴かないよな!」と笑ったのである。
僕は初めて「普通」という言葉に違和感を覚えたのだ。普通って何だよ。それはお前の普通であって、僕の普通が同じでなければならない筋合いはない。彼は、周りで麻雀をしていた奴らに、ザ・ストーン・ローゼズを聴いたことあるか? と声をかけた。誰も知らなかった。
「そういう音楽、どこで知るんだよ?」と彼は尋ねてきた。答えなかった。その質問に答えてしまったら、自分の好きなものが汚れてしまう気がしたからだ。今でも、その対応は間違ってなかったと信じている。
そいつとは険悪な関係になることも、それ以上親しくなることもなかった。今、何をしているのかも知らない。今でも大事МANブラザーズバンドの『それが大事』を聴いているのだろうか。そこまで徹底していたら、両手を挙げて降参するしかない。