「自分はこんなバカにはなれない」と思った会社の飲み会

会社勤めでしんどいのは、バカバカしいこと、無理なことを正気のままやらなければならないときがあることだ。朝礼でラジオ体操をしたあとに会社愛を叫ぶなんて正気でできるはずがない。

僕が大学を出て最初に入った会社は、いい会社だった。ただし、それを帳消しにするようなひどい点も多い職場であった。毎晩のように繰り返される、上司の自慢話を聞かされるだけの飲み会。完全無欠にくだらない飲み会。

もし当時の飲み会に意義を見出すとするならば、平均的な酒の強さしか持ち合わせていなかった僕が、ストロングゼロを一気飲みしてもびくともしない酒への耐性を身に付けられたことくらいだろう。

「俺が」「俺なら」「俺みたいに」——バリエーションの乏しい自慢話を披露する上司。「うわっ! それはすごいですね!」「自分なら逃げ出しています!」「どうやってそのピンチを乗り切ったのですか!」とアホのように目を見開き、モンキーのように手をたたいて上司から気に入られようとする先輩や同僚。すべてがバカバカしく見えた。いやバカそのものだった。

「慣れればわかる」と先輩は言ってくれたけれど、申し訳ないがうたげに呼ばれて顔を出せば出すほど、自分はこんなバカにはなれない、つまり出世はできない、という絶望は深くなるばかりだった。

能力的には決してバカではない先輩たちのバカな姿を見ているうちに、「あんなすごい先輩たちでも生きるためにバカになっておられる。やりたくないことから逃げ続けるのは不可能なのだな」という諦めも強くなっていった。

先輩の頭を便器にダンクシュートした

ある日の宴会の途中で、それほど親しくない先輩がべろべろに酔っぱらって姿を消した。「様子を見てこい」と命令されて捜索すると、トイレで倒れた先輩を発見。なんとか担ぎ上げると「ウ〜キモチワリー」と震え出した。

大噴火されたら直撃は免れない。僕は先輩を個室まで引きずっていき、頭をバスケットボールに見立ててダンクシュートする要領で便器へ突っ込み、背中をさすった。その後の地獄絵図は描写するのは控えるが、吐き出すものを吐き出してスッキリした先輩の言葉は今でもよく覚えている。

「バカをバカのままで終わらせてはダメだぞ……」

たいした言葉ではない。だけどこれは、バカみたいに泥酔して頭を便器にダンクシュートされてゲロった人間が脂汗を額に浮かべながら口にした言葉。素の言葉だ。ピュアな言葉は人の心を打つ。「バカをバカのまま終わらせるな」は僕にとって大事な言葉になった。

「バカをバカで終わらせない」は「ムダにする時間はない」ということ。等しく時間は流れていく。バカなことを回避できないのなら、バカをただのバカにしないようにすればいいとダンクシュート先輩は教えてくれた。

先輩はバカな飲み会でバカを演じ続けて、本当のバカになった。今は、立派なアル中になって昼間は窓際の席で死んだような顔をしているらしい。バカもほどほどにしなければならないと命を削って教えてくれた先輩には感謝している。