日本では、そこまで個人のレーティングが影響力を持つ社会になるとは考えにくいが、いずれにせよ、評価がどのように計算され、それがどう利用されるのかということについては重大な関心を持たざるをえない。

1つはっきりしていることは、自分の生き方をさまざまなレーティングで評価することは、それを自身が認識して省みて、思考や行動に反映させる限りにおいては害よりも利益が多いということである。

学校の「テスト」が生涯続くようなもの

認知科学においては、「テスト効果」というものが知られている。学習する際に、単に内容を繰り返し学ぶだけでなく、「テスト」をすることを取り入れると、学習効果が上がるのである。

テストを受けるということ、その結果のスコアが自分に戻ってくるということを意識することで、脳の働きがいわば「本気」になって、学習する内容がそれだけ強く定着すると考えられる。

学校のテストの思い出は、多くの人にとってほろ苦い。点数によって順位をつけられたり、偏差値に変換されたり、入試の合否にもつながっていく。いわば、個人の「レーティング」が学校という「社会」での自分の扱いに直結するという経験が共有されている。

個人のレーティングによって「生きやすさ」が変わっていく社会は、学校の「テスト」が生涯続くようなもので、そんなのは嫌だと感じる人が多いだろう。

発想を変えて、例えば、自分自身の生活スタイルがどれくらい健康か、そのレーティングが計算できるとしたら、そのスコアを自分の生き方を振り返って改善するためのきっかけにしたらどうだろう? 知識やスキル、能力もレーティング化することで、向上心につながり、よりよい仕事、生活に向けた改善に活かせるかもしれない。

そもそも、学校のテストの点数だって、本来は学習の達成度を見るはずのものが、いつの間にか人との比較のために使われるようになってしまった。

テスト効果ならぬ「レーティング効果」をうまく活用すれば生き方を改善できる。大切なのは、安易に人と比較するのをやめることである。

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