雑学は生き残るための武器になる
つまるところ、思考の寄り道とはオリジナルの発想の源泉であり、雑学を身につけるプロセスでもある。
この雑学こそが、何か一つの道を極めるわけではない、寄り道派が生き残るための武器になる。
『東大王』というクイズ番組があるが、あの番組に出演している東大生は、東大に入るための受験勉強という道を極めただけでなく、雑学についても網羅しようとしていて、本当に頭が良いとはこういう人たちだなと思う。
なお、東大に入るだけなら誰でもできる。システマティックに受験勉強をこなしていれば入れるので、これは、メジャーリーグで活躍したりノーベル賞を受賞したりするのに比べると、はるかにたやすい。そして東大生になったとして、それだけでは努力に見合ったリターンは得られない。東大王たちはそれに気付いているのだろう。
受験勉強だけをしてきた東大生と東大王は、持っている雑学の量が違うのだが、その結果、視野の広さも異なる。
私なら、タダの東大生と話すより、東大王と話したい。いろいろな話を聞けそうだからだ。ほとんどの人がそう思うだろう。
ここから東大生という要素を取り除いても同じことだ。
雑学があると多くの人と会話でき、さらに雑学が増える
タダの人と雑学がある人とでは、雑学のある人と話す方が楽しいし、刺激になるし、勉強にもなる。
また、タダの阪神タイガースファンと私との間では、おそらく会話が成立しないが、雑学もある阪神タイガースファンとの間では、その雑学という共通項で話ができる。
雑学があるからより多くの人と会話ができ、たくさんの人と話すから、さらに雑学が身につくのだ。
では、一人で雑学を身につける場合にはどうしたらいいか。
その方法の一つが、ここまで書いてきたような思考の寄り道だ。ランダムな本の組み合わせや、過去の興味と今の興味のすり合わせは擬似的な対話である。
だから、ただ検索したり本を読んだりするのでは得られないものが、そこに見出せるのだ。
先に挙げた行為は、一見ただの暇つぶしで無駄な行為に思える。しかし、その積み重ねが雑学を吸収しやすい体質をつくる。一度、そのサイクルが回りはじめれば、雑学は加速度的に身についていく。それが、何か一つを極めることを選ばない人にとっての生存戦略だ。