キーワードをどこか一ヶ所にまとめる習慣を

ここで、優秀なる読者諸氏は気付いているだろう。

そんなに混ぜるのが良いならば、本と本、テレビとテレビだけでなく、本とテレビ、ネット、人との会話、街で見かけた看板、耳に入ってきた言葉などなどを、媒体やスタイルをまたいでつなぎ合わせるべきではないかと。

その通りだ。

ただし、今のところ人間は、テレビをBGVがわりに流しながら本を読むことはできるが、テレビを見ながら本を読み、かつ人と話し、街を歩くことはできない。できる天才中の天才がいるのならば、一刻も早くこの本を置き、そのマルチな才能を発揮して活躍するべきなのは言うまでもない。

では、天才中の天才ではない人はどうしたらいいかというと、読んだ本、見たテレビ、聞いた話などから、これはというキーワードをどこか一ヶ所にまとめておくことだろう。大事なのは、まとめるというより、とにかく一ヶ所に集めることである。リアル寄り道にはデカい鞄が必要なように、知的寄り道にはとにかく何でも詰め込める、言葉の容器が必要なのだ。

私の場合は一つのワードのファイルに、書き殴るようにしてキーワードをため込んでいる。入力した情報は整理しない。丁寧な説明も加えない。

なので、後で見返したら「なんのこっちゃ」となることもある。

しかしそれでいいのだ。なにせ、これは寄り道である。成果をすぐに求めてはいけない。なんのこっちゃと思いつつ、ひたすらそこに言葉をため込んで、可能性を醸成する。

街中ではっとキーワードに出会っても、今はスマホがあるからメモができる。この時私はワードファイルは開かずに、自分宛にメールを送るようにしている。そしてパソコンで作業をする時に、いそいそとメールからファイルにコピペする。思いついた時と、コピペする時、二度、その言葉に触れることで、本を読み返すような効果が期待できるからだ。

そのファイルを眺めていて、あるいは眺めていない時でも、キーワード以上の何かが頭の中にひらめいたら、それをフェイスブックに書くこともある。

フェイスブックは公開ネタ帳として使え

私にとってのフェイスブックは交流ツールではなく、まず、仕事相手との連絡ツールであり、それから、アイデアのマーケティングツールである。思いついたことを書いてみて、その反応を見る。そして反応が良ければ、近い話題をまとめて提供してもみる。

するとコメント欄に新しいアイデアのタネが集まることもあり、そうこうしているうちに出版社から声がかかり、1冊の本として出版と相成ることもある。

もちろんならないこともあるが、しかし、百発百中とはいかないことは承知の上。自分の中に蓄積するだけでは絶対に起こらない化学反応が起きることがあるのである。

だから、他人が興味を持たないようなこと、非効率だとバカにするようなことでもあえてして、意味がないと思われそうなアウトプットもし、その結果、ちゃっかり実利をいただけるのだ。

このようにフェイスブックを使っていない人は、とてつもない機会損失をしている。