若者に比べて記憶力が衰えていようが、年を重ねて理解力や判断力に優れた人間のほうが、むしろ司法試験のような難関資格の試験には強いともいえるのです。記憶力がよければ医者や弁護士になれるなら、「記憶力のテスト」だけをすればいいはず。でも、実際にはそうではない。試験を受けてみればわかりますが、かえって「記憶力がないほうがいい」くらいです。

というのは、答えを記憶して書き写しただけの答案では、司法試験ではほとんど点数を取れません。司法試験は、専門の法曹としての法的理解力、判断力を持っているかを測る試験ですから一定の知識を持っていることは当たり前で、ただ知識を問うような問題は出ないのです。

判断力、理解力を自分で培っていく

司法試験では、「法的三段論法」にそって、そもそも事案の具体的な問題はなにか、この問題はどう解決すべきかとその法的な根拠を示して、それを事案にあてはめ、結論を出す。その考え方がどれだけできているかが問われます。判例や専門用語の一言一句を覚えておく必要はない。判断力、理解力を自分で培っていく、養成していくこと。目の前にある問題に、どこからどんな根拠を引っ張り出せば結論を導けるのかという訓練をしておくことだと思います。

社会で実際に仕事を何年もしていると、問題が起きたときその問題の所在がどこにあるのか、どう解決したらいいのか、だんだんわかってきますよね。つまり、判断力、推認力、分析力、応用力……総合的な理解力が求められる。その意味で司法試験は社会経験がある人に向いていると思います。そもそも、弁護士にとって最も必要なのは、この総合的な理解力ですから。

記憶というとどうインプットするか、という話になりがちです。しかし、インプットしただけでは価値はゼロ。アウトプットをまず始点において、そのためにどんなインプットが必要なのかを考えなければいけません。

私のノートをほかの人が見ると、情報を書き出していて一見きれいにまとめているので、インプットのために作っていると思われがちなのですが、違います。ノートを作るのはアウトプットの練習のためです。試験前にノートを丁寧に読み返すことはしません。期末試験や司法試験の過去問を読んで実際に答案を書きます。時間がないときは、答案の構成だけを書き、文章は口に出してアウトプットします。そうしたアウトプットの練習をするとき、どうしても重要な定義や判例がアウトプットできない場合に戻る場所が、まとめたノートです。ここはきちんと記憶してないと答案が書けないと思うと、ノートに戻るわけです。