旧日本軍が「統帥権」を持ち出したのと同じ理屈

報道によれば、大村知事や津田さんは、「表現の不自由展・その後」の展示内容についてやはり疑問を持ち、「表現の不自由展・その後」実行委員会に色々と要求したという。しかし「表現の不自由展・その後」実行委員会は、それら要求を全て拒否したらしい。

そして大村さんや津田さんは、それ以上要求すると「表現の自由」の問題が生じるので、最後は「表現の不自由展・その後」実行委員会の決定に委ねたというのである。

ここが今回のマネジメントの最大の問題だ。

今、大村さんは、津田さんに全てを委ねていたと言い、津田さんは「表現の不自由展・その後」実行委員会の決定に委ねていたと言っている。まさに責任の押し付け合いだ。

大村さんも津田さんも、「表現の自由」という大義に及び腰になってしまった。表現の自由を侵害したと批判されることにビビッてしまったのだろう。戦争に突入した日本の国の統治者たちが、軍部からの「統帥権の干犯だ!」という批判にビビッてしまったように。

ここは大村さんも津田さんも、事業運営の権限者・責任者として、しっかりと「表現の不自由展・その後」実行委員会を指導すべきだった。企画・展示内容が事業方針に沿わないのであれば、「表現の不自由展・その後」企画を排除すべきだった。

それは表現の自由の侵害でなない。単なる事業マネジメントだ。

そのマネジメントができなかったというのであれば、全ては事業運営者側の責任となる。大村さんも津田さんも、自分たちは色々と注文を付けていたんだが聞いてもらえなかったと言い訳することは許されない。

(略)