これは憲法21条の問題ではなく、事業マネジメントの問題である
今回の「表現の不自由展・その後」の企画は、あくまでも、あいちトリエンナーレの事業の一環だ。あいちトリエンナーレの事業方針に沿ったものでなければならない。
今回問題となった作品は、慰安婦像や昭和天皇の肖像を焼く作品など、どちらかと言うと反権力の立場からのものだ。だからそれを中止にするのは表現の自由侵害にあたり、よくない! 展示させろ! という声が上がる。
では、戦争や明治憲法下の天皇大権を礼賛し、日本の軍部の行為を全て正当化するような作品だったらどうだったか?
そのときには「そんな展示は止めろ!」という声が上がるはずだし、そのような展示が中止になっても、批判されるよりも、「当然だ!」という評価になるはずである。表現の自由侵害が問題視されることはまずないだろう。
このように、行政が関与する事業である以上、展示などの企画がその事業にふさわしいかどうかは常に問われるのであって、そのチェックは表現の自由を直ちに侵害する問題や検閲の問題ではない。単なる事業チェックの問題だ。
ゆえに、大村秀章愛知県知事や、河村たかし名古屋市長が、政治家として公権力を発動して、出展を中止させるのではなく、事業運営の責任者として出展中止を求めるのは当然のことである。それは憲法21条の問題ではなく、あくまでも事業マネジメントの問題である。
これは芸術監督である津田大介氏が、出展を中止させるのも同じことである。
中止を求められた作家は、個人の活動全般を否定されたわけではない。あくまでも、あいちトリエンナーレにおいての展示を中止させられただけである。作家たちは、別のイベントや個人の活動で展示できるのであり、ゆえに表現の自由が直ちに侵害されたものではない。
このように今回の「表現の不自由展・その後」の中止決定の騒動は、政治行政権力が一般市民の表現の自由を侵害した話ではない。事業の運営責任者が、事業運営を適切に行ったか否かの組織マネジメントの話である。
だから、その指揮命令や事業運営等の組織マネジメントが適切・合理的であったかどうかを検証する問題であり、表現の自由の侵害だ! と叫ぶような問題ではないのである。
(略)