実は尾高の議論は、今日であれば「国際的な法の支配」とでも呼ぶべき立場を擁護するものであった。尾高は「国際法の窮極に在るもの」としての「国際法を破ることなくして国際法を作らうとする力」が作り出す「新たな国際法秩序」を構想しようとしていた(注14)。しかし憲法を、国際秩序の中で構想しようとした尾高は、宮沢の弟子たちに「敗者」の烙印を押された。

虚構の自作自演の上に立つ憲法学通説

この尾高の立場を、「八月革命」の国民主権論で打ち破ったとされた宮沢は、結果として、国際社会に背を向けたガラパゴス的な憲法論の普及に大きく寄与した。宮沢は、ポツダム宣言受諾時に「革命」を起こしたという謎の「国民」概念を導入することによって、結果として抽象理念の世界にのみ存立する極度に観念論的な国民国家主義を作り上げた。

明治時代から続く日本の憲法学のドイツ国法学との強いつながりは、第2次世界大戦後に新しい段階を迎えたが、裏口から迎え入れたシュミットによって、変則的な形で存続した。葬り去られたのは、国際主義の性格を持つ憲法論だった。「八月革命」によって、アメリカの影も封印された。憲法学通説が描き出す憲法は、日本国民の虚構の自作自演の「決断」・「革命」の芝居を通じて、閉ざされた法理の世界に生きていくものとなった。

(注1)宮沢俊義「八月革命と国民主権主義」『世界文化』第1巻第4号(1946年5月)、68~69頁。
(注2)宮沢俊義「日本国憲法生誕の法理」宮沢俊義『憲法の原理』(岩波書店、1967年)所収、388頁。
(注3)宮沢俊義『憲法』(勁草書房、1951年)、15頁。
(注4)芦部信喜『憲法制定権力』(東京大学出版会、1983年)、114~115頁。
(注5)野中俊彦・中村睦男・高橋和之・高見勝利『憲法Ⅰ』第5版(有斐閣、2012年)、64~65頁。
(注6)芦部信喜、『憲法』30~31頁。
(注7)岩井淳「宮澤俊義──戦時体制下の宮澤憲法学」小野博司・出口雄一・松本尚子(編)『戦時体制と法学者──1931~1952』(国際書院、2016年)、高見勝利『宮沢俊義の憲法学史的研究』(有斐閣、2000年)、第2章。参照。
(注8)宮沢俊義『東と西』(春秋社、1942年)、114~115頁。
(注9)宮沢『東と西』、116、117、122、123、124、125頁。
(注10)佐藤達夫『日本国憲法成立史』第一巻(有斐閣、1962年)、457―458頁、第二巻、718~726頁。
(注11)江藤淳「“八・一五革命説”成立の事情──宮沢俊義教授の転向」『諸君!』14巻5号、1982年5月号、29頁。
(注12)C・シュミット(田中浩・原田武雄訳)『政治的なものの概念』(未来社、1970年)、C・シュミット(田中浩・原田武雄訳)『政治神学』(未来社、1971年)、篠田『集団的自衛権の思想史』第1章、などを参照。
(注13)尾高朝雄「ノモスの主権について」尾高朝雄『法の窮極にあるものについての再論』(勁草書房、1949年)所収、43、63頁。
(注16)尾高朝雄『法の窮極に在るもの』(有斐閣、1947年)、304頁。

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