宮沢は、さらに書いていた。もし英米諸国が正しく、日本が「アジヤをアングロ・サクソン国家の手から解放し、アジヤを真にアジヤ人のものたらしめようとすることが国際正義に反しているといふのであれば、アジヤの大部分は永遠にアングロ・サクソン国家に仕える奴隷としてとどまらなくてはならぬ理屈である。……だいたいアングロ・サクソン人くらい虫のいい人種はない。……アングロ・サクソン人のかういふ虫のいい考へが根本的に間違つていることをぜひ今度は彼らに知らせてやる必要がある。……願はくはこのたびの大東亜戦争をしてアジヤのルネサンスの輝かしき第一ページたらしめよ」(注9)

戦時中にこうした言説を行っていた宮沢俊義という憲法学者こそ、戦後は護憲派の旗手として日本の憲法学界で絶大な影響力を誇り続けた人物である。憲法9条は絶対平和主義の条項だとして、(あたかも自分はそうではなかったかのように)戦前の軍国主義者の復活の阻止を声高に唱えながら、世界の国々は日本を模倣せよ、と訴えた人物である。この宮沢こそが、アメリカ人が起草した憲法を、ドイツ国法学の概念構成で読み解く日本の憲法学の伝統を開始した人物である。

国際法や英米法に沿った解釈を憲法学者がなぜ憎むか

今日、国際法に沿った憲法解釈、そして英米法の伝統を参考にした憲法解釈を行うと、憲法学者らが一斉に、「そんなことをしたら日本はアメリカの属国になる」などとイデオロギー的な反発を見せるのは、理由のないことではないのだろう。憲法解釈の論理的整合性を犠牲にしても、反米運動の道具として憲法を使うことこそが、日本の憲法学のDNAに刷り込まれた一大目標なのだ。

宮沢は、誰よりもアメリカ人が日本の憲法を起草したという事実を憎んでいた。ポツダム宣言の際に主権を握った国民が、憲法をつくった、という奇想天外な理論である八月革命説を信じるためには、「八月革命を信じなければ、日本はアメリカの属国になる」という強迫観念を、まず信じ込まなければならないのである。