そんな正恩氏は、米国や国連による厳しい制裁によって窮地に陥った状況を打破するため、2018年5月にシンガポールで初の米朝首脳会談をやってのけた。そうしてアメリカとも対等に話ができることをアピールした上で、2019年1月に北京を訪問。習近平氏に直接、米国に対北朝鮮制裁緩和を働きかけてほしいと依頼したようだ。しかし、習近平氏は正恩氏に対して「非核化が先だ」と願いを一蹴したと言われている。
この冷たい態度は、習近平氏にとってみれば当然のことであった。2016年から17年初頭にかけては、不倶戴天のしぶとい仇敵・上海閥との暗闘がまだ予断を許さない時期だった。そうした状況のもとで習近平氏は、旧瀋陽軍区の後ろで荒ぶる金正恩氏を少しでもなだめるため、お近づきの印として金正男氏の暗殺を容認した可能性がある。
だが正恩氏はそれにまったく感謝しなかったばかりか、同じ2017年の夏には中国本土のほとんどを射程に収める長距離ミサイルを立て続けに発射(実際は北海道上空を飛行)。9月には核実験まで実施し、北京を十分に核攻撃可能だとする能力を改めて誇示した。つまり、習近平氏としては顔に大きく泥を塗られた格好で、2019年1月に金正恩氏が会いに来た際にも、そのときの屈辱は忘れていなかったはずだ。「一体どの面を下げて」とでも言いたかったのが本音であろう。
こうして習近平氏に突き放された金正恩氏は、単独でトランプ政権と交渉をする以外にないと感じたに違いない。正恩氏は北京から帰国してすぐ、トランプ政権との秘密交渉を開始。それから数週間後の2月5日、トランプ大統領は一般教書演説の場で突然、「2月27日と28日に金正恩氏と再び会談する」ことを発表したのであった。
金正恩氏にとっては願ったりかなったりの展開だったろうが、このことは同時に正恩氏自身が、上海閥や旧瀋陽軍区といったかつての中国人脈の大半と、反トランプで固まる米国エスタブリッシュメント層を、完全に敵に回した瞬間でもあったに違いない。
日本にとっての二つの懸念
拉致問題の解決を目指す日本政府にしてみれば、安心確実な後ろ盾であった上海閥が力を失い、藁をもつかむ気持ちでトランプ政権に接近している今の金正恩政権の状況は、絶好の機会ではあるとも言える。その一方で、朝鮮戦争の終結と北朝鮮大規模開発を目指すトランプ政権は、日本に対して「拉致問題解決を手伝ってやるから、北朝鮮のインフラ復興整備のカネを出せ」などと言いかねない。日本政府もひそかに警戒はしているだろうが、実際に要請されれば断ることはできないだろう。