初期は販売不振の「タイカレー」を積極投入

吉田さんはさらに「当社の社員にとって、カレーは大切な商品というだけでなく、それぞれ何らかのエピソードを持っています」として、こんな話を教えてくれた。

「私が学生時代、『ロイヤルホスト仙台バイパス店』(宮城県仙台市)でアルバイトを始めた1990年のカレーフェアは、ロイヤルとしても本格的なタイカレーを発売した年でした」

当時の日本では、1986年ごろに最初の「エスニックブーム」があったが、代表的なタイ料理のひとつである「タイカレー」は、まだ多くの人になじみがあるものではなかった。

「メニューにあったグリーンカレーも『緑色のカレーってなに?』『すごい香り……』と思ったら、ココナッツミルクの香りで、学生アルバイトには衝撃的でした」(同)

「グリーンカレー」は、あまり売れなかったそうだ。それでも2年後の同フェアでは4品構成で「タイカレー」を投入した。バブル期の時代性もあったのか、積極性がうかがえる。

「調理人の採用凍結」で低迷した時期も

今でこそ好調なロイヤルホストだが、2000年代には「サイゼリヤ」などの低価格路線に押されて低迷した時期もある。業績は悪化し、運営方針も迷走。2002年から数年間は調理人採用も凍結してしまう。2007年にはロイヤルホストの首席料理長だった田島澄夫さん(故人)が、当時の経営陣に「料理の味を守るためにコックを育ててほしい」と詰め寄り、それが受け入れられなかったため退社するという騒動もあった。

田島さんは社内で「カレーといえば田島」と呼ばれた料理人だった。入社は1967年。同社が「ロイヤルホスト1号店」を福岡県北九州市に開店したのは1971年だから、それより前になる。1977年に東京1号店の「三鷹店」のコックに抜擢。本社に戻ると、創業者の江頭匡一(えがしら・きょういち)さん(1923~2005年)にメニュー策定の責任者に指名された。田島さんは当時32歳。以来、ロイヤルホストの味を磨き続けた人だった。

変化があったのは2011年。三鷹店の店長も務めた矢崎精二さんが社長に就くと、田島さんを「料理顧問」として呼び戻したのだ。ここからロイヤルホストは、競合よりも「高付加価値路線」に舵を切り、業績回復につなげていく。

新しい経営陣が出した答えは「調理職を採用・育成し、ロイヤルの強みを取り戻す」だった。いわば原点回帰といえよう。