『君は「6割の市場」を捨てることができるか』

 

「しょうがないなあ、ちっとは売ってやるか」

<strong>アサヒビール 荻田 伍社長</strong><br>1942年、福岡県生まれ。嘉穂東高校、九州大学経済学部卒後、アサヒビール入社。北関東での営業職などを経て、福岡支社長、九州地区本部長などを歴任。2002年にアサヒ飲料へ出向、翌年社長に。06年アサヒビールに復帰し、現職。
アサヒビール 荻田 伍社長
1942年、福岡県生まれ。嘉穂東高校、九州大学経済学部卒後、アサヒビール入社。北関東での営業職などを経て、福岡支社長、九州地区本部長などを歴任。2002年にアサヒ飲料へ出向、翌年社長に。06年アサヒビールに復帰し、現職。

「景気が悪い」「天候が不順だ」。ビールが売れない理由はいくらでも探せます。しかし「できない」と考えたら、それに引っ張られて行動も「できない」ほうへ流されます。売れない理由を考えるからなお売れなくなる。そんな負のサイクルに陥らないように、まずは「できる理由」を考えるのが私のやり方です。

私の会社人生の前半は、悔しいことにライバルに売り負けることの連続でした。1980年代の後半までアサヒビールは年々シェアを落とし続けていたので、酒屋さんにもなかなか売ってもらえません。けれども、考え抜いて工夫を凝らしさえすれば「売れる」のです。

たとえば、酒屋さんに頼み込んで瓶ビール一ケースのうち四隅に1本ずつアサヒビールを入れてもらったり、4分の1をアサヒにしてもらったりする「クオーター(4分の1)作戦」。でも他社のビールにアサヒを交ぜるだけでは、消費者から酒屋さんに苦情がきてしまいます。

私の考えはこうでした。当時(昭和40年代)は店頭の冷蔵庫が小さかったので、冷やしてあるビールはそう多くはありません。そこで別銘柄の注文が入ったときに「アサヒなら何本か冷えていますから、一緒に入れておきましょう」と勧めてもらうのです。それにはもちろん、毎日のように酒屋さんに顔を出し、「しょうがないなあ、ちっとは売ってやるか」と言ってもらえるような深い信頼関係を築いておくことが不可欠です。

時は移って専務時代の2002年、私は赤字続きだった子会社のアサヒ飲料へ行くように命じられました。そのとき心に決めたのは、アサヒ飲料が陥っていた苦しい状況を打開するため仲間とともに「考え抜こう」ということでした。私は歴代経営者と比べ優れているとは思えませんでしたが、みんなで「できる理由」を考えれば道は開けると思ったのです。

当時のアサヒ飲料が置かれていた状況は待ったなし。着任するとすぐに「このままでは2年で債務超過になります」という報告を受けました。そうなれば上場廃止、そしてアサヒビールの救済を仰ぐという未来しかありません。

私は社員に「甘えるな!」という厳しいメッセージをぶつけました。経営危機に際して、社内には「どうせビールの人間が主導していることだ」という他人事のような空気が流れていましたが、事業が傾いたときに困るのは飲料プロパーの人たちです。私が伝えたかったのは「自分たちの会社なのだから、自分たちで頑張ろうよ!」ということです。