パソコンのキーボードでデファクトスタンダードになっているQWERTY配列は、人間工学的にはベストな配列でないどころか、使いにくいとさえ言われています。もっと使い勝手のいい配列が提案されているのにもかかわらず、そのポジションを奪い取れるものが生まれていません。標準化による過剰慣性が働いているからです。

先行のプレーヤーによって規格が標準化されると、今度は世代交代が進みにくくなります。そこで世代交代を促すひとつの手段が、特許による訴訟です。たとえば携帯電話が2Gから3G、3Gから4Gへと移行する際、世界中では膨大な数の裁判が行われ、今も継続しています。もっとも有名な例が、ノキアとクアルコムの裁判です。

2Gの技術基盤を持つノキアは、かつて携帯電話端末の覇者として世界に君臨していました。一方、クアルコムは半導体チップをはじめとする3G関連技術の特許を多数持っていましたが、なかなか世代交代が進みません。そこで特許使用料の支払いが不足しているという理由で、ノキアを訴えたのです。これにノキアも応戦しました。両者の訴訟は世界中で行われ、当時、クアルコムの法務費用は年間100億円にも及んだと言われています。

やがて両者は和解しました。しかし、クアルコムとの裁判を境に、ノキアは携帯端末事業が衰退し、その後、マイクロソフトに売却したことは周知の事実です。足元を威嚇射撃された企業は「ここは危ない」と察し、安全な場所に足場を移していきます。ライバル企業の陣地を脅かし、次世代技術への移行を促すために特許を活用するのは、特許の世界では常套手段なのです。

トヨタはエースのカードを切った

市場覇権を得るために特許を絡めた「標準化戦略」には先例があります。米IBMが05年に提唱した概念「パテント・コモンズ(特許共有資産)」です。

インターネットが発達する中で、パソコンで使われるOSにも特許保護が認められるようになりました。さらに、Linuxに代表されるような、開発者や開発企業以外でも修正・管理ができるオープンソース・ソフトウエア(OSS)の利用が伸びていきました。OSSを提供する陣営は、関連の知的財産権を主張しませんでしたが、それだけでは第三者の権利主張から守られず、OSSの開発者は特許侵害を心配しなければなりませんでした。そこでLinuxの発展をサポートしていたIBMは、保有する500件の関連特許を、オープンソース・コミュニティーに開放したのです。特許権を放棄せずに留保することで他企業からの攻勢をブロックできるため、開発者は特許侵害を心配せずに済みます。IBMからすれば、OSSの普及によって、自社のソリューションビジネスが広がってインフラ構築につながり、市場を囲い込めるという狙いがあったはずです。