なぜ同じ本を読んでも、時期によって感想が変わるのか

ところが『人間失格』を「鏡に映った自己」という社会学の概念で読み解いてみると、かなりスキッとするのです。C・H・クーリーという社会学者は、わたしたちは他者の反応や評価を通して自分のイメージを形成し、そのイメージに対して誇りや屈辱といった感情をもつものだと述べます。

葉蔵は「みんなから喜ばれている自分」という「鏡に映った自己」のイメージが壊れそうになると不安でいたたたまれなくなり、われを忘れて挽回しようとします。そうしているうちに自分というものを見失っていく。僕は幸い、大学に入ると「鏡に映った自己」の呪縛からかなり自由になり、それでこの小説も味わいながら読み通すことができました。さらにこのクーリーの「鏡に映った自己」という概念を知って、初めて読んだときの「気持ち悪さ」もスキッと解消できました。

こういう体験を僕は「知識を取り込む」という言葉で表現しています。たとえば「鏡に映った自己」という概念を取り込むには、それぞれの人の自分史のなかで、「鏡に映った自己」で説明できるエピソードを探してみるという作業が役に立ちます。

授業ではよくそういう課題を出していますが、この「取り込み方」が人それぞれで、とても面白い。まさに多様性の世界です。同じ概念を説明するのに自分とこんなにも異なる体験を持ち出してくる人がいるのかと知ることで、寛容性も培われていくのではないかと思っています。

もちろん、自分のなかでも「取り込み方」は時を経て変わっていきます。今の自分と、3年後の自分では同じ本を読んでも感じ方は同じではない。「鏡に映った自己」もどんどん変わっていくのです。

社会学の言葉で「ありふれた光景」が変わる

自分の内面だけでなく、ふだん深く考えないでやっていることの意味も社会学の概念でスキッとわかることがあります。たとえば学校対抗の音楽コンクールがあったとします。高校野球のようなものですね。実力に応じて出場そのものが目標となることもあれば、優勝やベスト4を目指す場合もあります。

社会学者のマートンの言葉を借りれば、それらはこの音楽会の「顕在的機能」です。それとは別に、この音楽コンクールに出ることでいじめが減ったり、成績が上がったりと、意図していなかったことがおこった場合、これを音楽会の「潜在的機能」といいます。

さらに、いじめが減るといったポジティブな潜在的機能は「順機能」、逆に音楽コンクールでの勝利にこだわるあまり、音楽に関心のない子が悪者扱いされたり、負けたときに犯人探しが始まったりするというネガティブな潜在的機能は「逆機能」と言われます。

ついでに言うと、潜在的効果をうまく利用して顕在的効果にする動きもあります。だから何だ、という話ですが、「顕在的機能」「潜在的機能」といった言葉を知識として知っているだけで、ありふれた光景も見え方が変わってくるんです。