SNSは19世紀パリの商店街に通じる

新しい概念を実際に使って何かを説明するということは、非常に能動的な行為です。いま、SNSで有名になりたい若い人がとても多いと聞きます。学生たちを見ていてもそのために面白いことを発信しなきゃというプレッシャーがとても強い。SNSで何か表現するということは、一見能動的ですが人に見てもらいたい、評価してもらいたいという動機でやっていることは、やはり一種の受動なんです。

田中正人、香月孝史『社会学用語図鑑』(プレジデント社)

SNSとの関連でいうと『パサージュ論』という有名な著書のある社会学者のベンヤミンの「ファンタスマゴリー」という概念が面白いかもしれません。もともとは「幻灯機」という意味です。パサージュというのは19世紀にパリにできた商店街のことですが、そこに並べられている商品は独特の輝きをまとって人々の欲望を刺激します。たとえがらくたであっても「アンティーク」としてものすごく価値があるかのように見える。そういう幻想空間をベンヤミンは「ファンタスマゴリー」と呼びました。

僕はSNSは21世紀のファンタスマゴリーだと思います。そこで脚光を浴びている人たちが人々の欲望を刺激するんです。ファンタスマゴリーに映し出された人やモノは実物より大きく輝いてみえる。有名なインスタグラマーが写真を撮って載せた商品にみんなが飛びつくのもファンタスマゴリー効果といえるのではないか。

そんなふうに考えると、SNSの見方もいままでとちょっと変わってきませんか。どんな学問にも新しい知識や概念を身に付けていく過程がありますが、社会学の場合は対象が自分も含まれている社会であるだけに、それを血肉化する機会が多いのです。

司書が350万冊の本を全部「知っている」理由

最後に、社会学に限らず、人文系の学問をする人におすすめしたい本があります。フランスの精神分析家、ピエール・バイヤールが書いた『読んでいない本について堂々と語る方法』という本です。この本では、読書について3つの呪縛があるという話をしています。「読書しなくてはならない」「通読しなくてはならない」「本を語るためには読んでおかなくてはならない」という3つです。

この呪縛から完全に自由な人として、ムージルの『特性のない男』という小説に出てくる図書館司書の話を引き合いに出します。この司書は図書館にある350万冊の本を全部「知っている」のですが、なぜそんなことができるのかと聞かれると、「1冊も読まないから」だと答えます。それゆれに「全体の見晴らしが可能になっている」のです。ただ、彼は目録は読むんです。だから本と本の「連絡」や「接続」に通じている。

社会学というのはこの「目録」みたいなものじゃないかと僕は思います。社会でおきているすべてのことを理解することはできない。でもこの司書が自分の頭に入っている目録を頼りに、あそこの棚にこういう本があって、それをあっちの棚のこの本を結びつけたらこういうことがわかるんじゃないのか、といったことをあれこれ考えているように、社会学という目録があれば、「見晴らし」がよくなると思うのです。

社会学はいま大学などでも肩身が狭い人文・社会科学系の学問の代表のようにいわれますが、この全体を見晴らす力はどんな仕事をするにも役に立つと思います。そういう意味で、社会学は実学なんです。

本稿に出てくるマートンの「顕在的機能・潜在的機能/順機能・逆機能」を『社会学用語図鑑』のなかでは上記のように絵解きしています。
岩本茂樹(いわもと・しげき)
神戸学院大学現代社会学部教授
1952年兵庫県生まれ。関西学院大学卒業。同大学院社会学研究科博士課程修了。社会学博士。30年にわたり、小学校、中学校、高校、夜間定時制高校などで教育に従事する。著書に『教育をぶっとばせ―反学校文化の輩たち』(文春新書)、『先生のホンネ』(光文社新書)、『自分を知るための社会学入門』『思考力を磨くための社会学』(ともに中央公論新社)などがある。
(構成=プレジデント書籍編集部 中嶋愛 撮影=プレジデント社書籍編集部)
【関連記事】
学者の「上手な説明」が真実とは限らない
だれでもトイレに健常者が入ってもいいか
頭のいい人がまったく新聞を読まないワケ
山口真帆を追い出した"AKB商法"の行く末
なぜ秋篠宮家の心はバラバラになったのか