赤ん坊や小さな子どもがいる家庭の場合、車を買う決定権を持っているのはダンナではない。妻と子どもだ。はっきり言えば妻だ。妻たちは車のデザインは気にするけれど、スピードや環境対応はあまり気にならない。それよりも、子どもにとって安全な車を選ぶ。彼女たちが必要とするのはぶつからない車であり、ぶつかっても、乗員を守ってくれる車だ。

こういうところから考えてみると、ママたちはパワートレインがエンジンなのかEVなのかといった点はどうでもいいと思っているのではないか。

運転しなくてもいいこと。ハンドルでなくスマホで操作できる車であること。いつもネットワークとつながるコネクティッドカーであること……。さまざまな便利さがユーザーをひきつけていくと思われる。

徹底した安全思想が、世紀を超えて評価され始めた

ただ、どんな場合でも大前提はある。それが安全だ。自動運転になっても、コネクティッドカーであっても、安全でなければ誰も乗らない。

安全も事故に対してだけではない。故障に対しても安心安全でなくてはならない。ガソリンならばどこでも買えるけれど、EVのパワーである電気を充電する場所は少ない。山の上へ出かけていって、電池の残量が乏しくなったら、もうお手上げなのである。燃料電池車だって同様だ。山の上に水素スタンドがなければお手上げだ。

また、自動運転車だって機械だから、必ず不具合が起こる。車が止まってしまったら、安全であること、外部と通信できることが、車のスピードよりも何よりもはるかに重要だろう。

幸せなことに、スバルは飛行機をつくっていた時代から、安全をクルマの特質として考えてきた。アイサイトの性能が評価されたというよりも、アンドレ・マリー技師が中島飛行機にやってきた1927年以降、考えに考えてきた乗員を守る「安全思想」が、時代が変わったことで、大きな評価の対象になったということだろう。

軍艦より航空機を重視したスバルのルーツ

1980年代、日本における会社の寿命は30年とされていた。30年以上たった現在ではよくて10年もてばいいらしい。アメリカでは、はっきりと「寿命は5年だ」と言われている。それくらい新陳代謝が激しいのに、スバルは100年も続いている。

ただ、会社がやっていることは変わってきた。最初のうちは飛行機会社で、その後、スクーターや電車の車両、バスをつくり、軽自動車を始め、1966年のスバル1000から大衆車をつくる会社になった。そして、2000年代には北米マーケットに特化した自動車会社になっている。スバルの100年は有為転変というか変化の100年だった。

「貧乏国日本が列強並みに建艦競争をつづけるのは、国費のムダづかい。そんなことをしていてはやがて行き詰る。能率的軍備に発想を切り替え、二艦隊(軍艦八隻)をつくる費用で、八万機の航空機をつくるべし。」

中島飛行機の創始者・中島知久平は、日本が生き残るためには発想を変えようと言った。巨艦よりも航空機をつくるべきだと主張した。しかし、日本は巨艦をつくり、そして、戦争に負けた。