デザイナーベビー実現への試みは進んでいる

親となった者たちは、さまざまな機会を通じて、自分の子どもがひとかどの人物になる手助けをしようとする。家庭の中で礼儀作法を身に付けさせようと躾けることはもちろん、栄養管理や宿題の確認、塾への送り迎えだけでなく、交友関係にさえ口を出す親もいる。

幼児教育に躍起になって少しでもわが子を賢くしたいと思う親は、どこにでもいる。わが子に多くの利点を付与したいというのは、親になった者の、ごく一般的な思いだろう。

この親の思いは、教育や社会化を飛び越えて、先端科学の恩恵にあずかることも厭(いと)わないかもしれない。認知的な能力を強化するクスリを用いるだけではなく、遺伝的な改変を行うことにさえも積極的になるかもしれない。より優れた、思い通りの子どもを持ちたいという「デザイナーベビー」への関心は、それを可能にする技術の発展に伴って、ますます高まっていくのではなかろうか。

実際、中国の研究者が遺伝子改良を施した結果、エイズウイルス(HIV)耐性を持った双子の女児が誕生したニュースや、アカゲザルに人間の脳の発達に関わる遺伝子(MCPH1)を組み込み、人間の知性の由来を解き明かそうとする実験など、人間の諸能力を増進(エンハンスメント)しようという試みは、着々と進められている。

「超人」を産むことへの批判はどこから?

このようなより優れた資質を持つ人間を産み出そうという試みや思想は、一般に「トランスヒューマニズム」と呼ばれている。人間(human)を超える(trans)存在、つまり超人を作り出そうという試みだからだ。

※写真はイメージです(写真=iStock.com/vchal)

この手の話題は、ともかく批判するのが良識人たる者の作法とでもいうように、自然に反するだとか、人間の尊厳を毀損(きそん)するだとか、そうした理由でダメ出しするのが通例になっている。確かに、こうした「トランスヒューマニズム」を牽引する技術には、まだまだ不確かなことが多くあり、手放しで評価できるものではない。

とはいえ、以下で述べるように、自然や尊厳に訴える批判もまた、手放しで評価できるわけではないのだ。私がここで述べようと思っていることは、より優れた人間を産み出そうという欲求を退けることのできる論理は、そう簡単には見つからないというに過ぎない。

「トランスヒューマニズム」への批判は多岐にわたるので(とはいえ、それらも反論はすでになされているのだが)、今回は、自然や尊厳に訴える典型的な批判に関してのみ考えることにしたい。